2016年12月24日土曜日

国立博物館に行ってきた。

以前から国立博物館に行きたかったのだが、やっと実現した。これまで行けなかった理由は2つ。公共交通機関からの徒歩のアクセスが悪いと評判なこと。かなり無理な徒歩コースらしい。もう一つは、日本語ガイドのある日に行きたかったことである。それが土曜日(最近はそれ以外の曜日もOKらしい。)で、なかなか踏ん切りがつかなかったのである。

今回は、妻と2人なのでタクシーで行った。また、今日お世話になった日本語ガイドのWさんは、タマンデサの近くのコンドに住まわれており、しかも大阪の生野区出身(私と同じ)で、まさに奇遇である。Wさんのガイドは、当然、見事な大阪弁だった。(笑)やはり、日本語ガイドのボランティアの方と回るのがいい。極めて興味深く説明を拝聴できたのだった。

この博物館は、初代首相ラーマンの提案で設立されたものらしい。よって、少し時間がたっているが、展示にかなり工夫もされていて、なかなか見ごたえがあった。展示内容は、歴史博物館という趣である。印象に残ったことを何点か、記しておきたい。
石器作成現場(おそらくレプリカだと思う)
その1:石器時代の石器作成現場が、火山の噴火でまるでポンペイみたいに残っていたという展示。これは凄い。世界文化遺産だそうだ。(レンゴン渓谷の考古遺産)

その2:ニョニャ料理という料理がマラッカにあるらしいことは知っていたが、このニョニャは、渡来してきた華人男性とマレー女性の子孫の女性を指す言葉である。(男性はババ。)マレー語と食文化や衣装を取り入れつつも冠婚葬祭では中国の風習を忠実に守るというイスラム教徒になることなく、マレー文化を取り入れた華人で、ここが、大きなポイントだが、かなり誇り高い人々とのこと。衣装や生活用品なども展示されていた。
その3:こちらの伝統的な刀剣は、日本刀のように”切る”というのではなく、”刺す”のが主流で、グニャグジャと曲がっている。このような剣は初めて見た。(上記画像参照)
その4:オランダの東インド会社の陶磁器には日本製(伊万里)のものがあること。マークの付いた陶磁器が展示されていた。(上記画像参照)

その5:マレー語は、イギリスの植民地になる前は、アラビア語表記(ジャウィ文字というらしい。)であったとのこと。これは、知らなかった。KLの様々な場所で、アラビックを目にするが、これはジャヴィ文字で書かれたマレー語なのかもしれない。当然ながら、私にそれを判別する能力はないけれども。今度、国費生に聞いてみようと思う。

その6:WWⅡで、日本が3年間占領した展示もあった。意外にも、マレー語の解説文には、これまでのポルトガル、オランダ、イギリスといった白人の支配と違い、同じアジア人がイギリスを追い払ったことに対して、後の独立への自信みたいものが芽生えたとあるらしい。(館内は、写真撮影可だが、意外にもメモを取ることは禁じられているらしく、あくまでガイドのWさんの話の趣意である。)ただし、英文には、そのような記述はないらしい。
…おそらく、シンガポールなら、こういう展示にはなっていないと思うが、少なくとも半島部では、日本占領時の展示は少なかった。反対にイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈没に至る経路まで地図に描かれてあった。うーん、意外である。
「ムルデカ」(独立)と、ラーマン首相は7回叫んだという「展示
その7:華人のマレー共産党との内戦の展示もあった。独立時の展示は、ラーマン初代首相がこの博物館を創設した経過もあり、なかなかのものである。独立を勝ち取った時の新聞も、マレー語(アルファベット)とマレー語(ジャウィ文字)、英語、中国語、タミル語と5種類のものが並んでいた。いかにも多民族国家マレーシアらしい。

…1月からの授業の教材研究にとって意味のある学びの時間を過ごせたと思う。また今エントリーしている「マレー・ジレンマ」の内容にも、今日の学びを加味していけたらと思う。

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