スクールホリデーで、今日は1日お休みをいただいた。今年も、恒例の「この1冊」をエントリーしようと思う。今年はおそらく、ここ数年で最も読書量の少ない年になった。最大の理由は、日本を離れたことである。本当に読みたい本は、アマゾンで注文し、日本から持ち帰ることになる。本屋などで偶然の本との出会いが少ない分、どうしても限定されてしまうわけだ。
昨年、アフリカ開発経済学の未読の2冊(「貧困を救うテクノロジー」と「統計はウソをつく」)を2016年候補に棚上げすることにした。ところが、この2冊、11月の帰国時にスーツケースで運ばれ、ようやくわが住処に到着した。故にまだ続きを読んでいない。もう1年棚上げにすることにした。
マレーシアに来て、当然ながらマレーシアの研究に少しずつハマっている。中でもイスラム教理解は、ムスリムの生徒を教える上でも重要である。今年の1冊は、やはり中田考・橋爪大三郎の「クルアーンを読む」(太田出版/昨年12月17日発行)だと思う。ブログでもかなりの回数をエントリーしたが、日本最高のイスラム法学者中田考氏の見識には、いつも乍ら敬服するところである。
面白いなあと思うのは、サラフィー派的な中田氏のスタンスと、マレーシアのイスラム教のスタンスは少しばかり違うことだ。こちらの法学はシャーフィーイー派である。どう違うのが、まだまだ認識不足で、大いに勉強したいと思っている。よって、現在読んでいる途中の「国家と対峙するイスラーム-マレーシアにおけるイスラーム法学の展開-」(塩崎悠輝著/作品社・2016年6月30日発行)もまた、来年度の候補への棚上げせざるを得ないと思っている。この本、かなりの専門書であるが、実に興味深い。
また、はるかに古い本だが、「ラーマンとマハティール」(現代アジアの肖像14 萩原宜之著/岩波書店/1996年)も大いに勉強になった。(書評のエントリーはまだ終わっていないが…。)、さらに、わがIBTにも関わりの深い戦時中の日本留学生だった教育者・ラザク先生の「わが心のヒロシマ」(オスマン・プティ著/勁草書房)も印象深い1冊だった。
ところで、昨年の「今年この1冊」を読み返してみた後、2016年元旦、2日のエントリーも読み返してみて、あっと驚いた。
元旦には、2016年への「POST TRUTH」的な漠然とした不安が記され、それが現実になっている。2日は、ラグビーの帝京大学のハナシが書かれていた。現在勤めているIBTの母体は帝京大学である。思わず、うーん、と唸ってしまったのだった。こういう事もあるんだと思った次第。
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