2014年7月6日日曜日

続 天皇と東大Ⅳを読む。

ポツダム宣言のサイン
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立花隆の「天皇と東大Ⅳ」で、私が最も印象的だったのは田中耕太郎が戦後の教育をデザインした話だった。(7月2日付エントリー参照)
ところで、立花隆本人はというと、第64章こそが、四巻にもおよぶこのシリーズの最重要な部分だという。第64章は、東大が平賀学長と理工系学部を中心に委託研究を熱心に行い、軍産学複合体となっていたこと、22年ぶりに東大に天皇が行幸されたこと、そして学徒出陣に文系の学生が多く送られたことが描かれている。中でも、立花が最も書きたかったことは、右翼はもちろん、左翼までもがこの時代の歴史を改ざんしているという事実だ。

「わだつみのこえ」に書かれた内容ですら、その軍国主義的な文面が改ざんされていた。立花は、長い間、なぜ日本が戦争に巻き込まれていったかを知りたいと考えていたそうだ。その答えのひとつをこの第64章に凝縮している。この年代を過ごした人々のほとんどが、軍国主義に染まっていて、その史実を明らかにしたがらないのだ。右翼も左翼も。それが、立花の最も主唱したい部分なのである。純粋に中立的に書かれた史実を求めながら、それがいかに難しいことであるか、立花は自書にそれを問うている。極めて立花隆らしいと思う。

もうひとつ、ぜひ書き残しておきたいことがある。ポツダム宣言受諾にあたって、政府が「国体」に大いにこだわったことは有名である。この裏に、後の東大総長・南原繁と高木八尺(やさか)、それに田中耕太郎ら法学部の教授たちの秘密裏な終戦工作があったという話だ。特に高木は、米国の専門家で、東京裁判では知己であった木戸幸一の弁護人になった人でもある。

高木は、様々な情報と深い洞察によって、アメリカが「国体」を必ずしもつぶそうとしないだろうという感触を得ていた。木戸を通じて、このことを昭和天皇に伝え、天皇はそう認識しておられたようだ。御前会議で、その旨を語り天皇自ら陸軍の反対を押し切っている。ただ、高木や南原らは、同義的責任を天皇が取るべきだと考えていたようで、戦後制定された皇室典範に、天皇の退位についての文言を入れていくよう働きかけたらしい。おそらくは、天皇も真剣に退位を考えられたはずだが、皇室典範にない故に、ついに退位されなかったと思われるというのが、立花の推論だ。結局、法規をなにより重視する昭和天皇は、皇室典範に退位についての文言がない故に、また皇太子がまだ年少であるが故に、退位せず全てを背負われたままになったのだろうと私も思う。

この東大の教授たちの終戦工作とポツダム宣言受諾、皇室典範にまつわる話は、戦後史を語る上で、極めて重要だと思うのだ。

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