日経の「私の履歴書」は、今、インドのタタ財閥のラタン・タタの連載になっている。アメリカに行っていたラタン・タタが呼び戻され、ジャムシェドプールで修行させられる話が今日の朝刊に載っていた。意外な話が載っていた。ジャムシェドプールは、タタ財閥の創始者ジャムシェド・タタに由来するというのだ。これは知らなかった。
地理では、ジャムシェドプールはインド有数の工業都市として教える。製鉄業は、そもそも鉄鉱石か炭田の近くに立地してきた。いわゆる原料立地である。ジャムシェドプールは、その両方がそろった最適地である。タタ財閥の創業者は、ここに目をつけ製鉄所をつくったのだ。
「私の履歴書」には、ジャムシェドプールには市長がいない、まさに企業城下町として描かれている。警察と司法組織以外、水道もガスも電気も、タタ財閥が管理しているという。凄いな。
何度か書いたが、私は昔からインドに興味がありながら、ついに行けなかった。アフリカでは、特にケニアなどでは、インド人は商店主であったり卸売商であったり、とにかく経済的実権を握っている中間管理職的存在だ。私が、水虫でJICAの看護師さんに病院に連れて行ってもらった(10年2月15日付ブログ参照)後、薬局に寄ったのだが、予想通りインド人の店だった。儲かる商売は、見事にインド人が握っているのだった。
ナイロビにはインド製の製品も目立った。病院のあと、私が買ったサンダルもインド製だった。当然大きな靴の専門店もインド人の店だった。そういうインド経済のピラミッドの頂点に君臨するのがタタ財閥である。ムンバイのゾロアスター教徒としても有名だ。「私の履歴書」でも、ゾロアスター教徒としての話が出てくればいいなと思っている。きっと宗教学的にも貴重な話のはずだ。
2014年7月10日木曜日
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