2014年5月18日日曜日

バラナシの日独枢軸?

バラナシの屋上を望む
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「世界一周デート」(吉田友和・松岡絵里著/幻冬舎文庫)のアジア編を読んでいて、わかるわかると大笑いした部分がある。インドのバラナシ(ベナレス)での話である。バラナシの様子については、沢木耕太郎の深夜特急をはじめ、様々なバックパッカー本で読んでいるので、なんかもう行った気になるほどなのだが、今回の話は新鮮なエピソードだった。バナラシの安宿の屋上で、少しばかり体調を崩した著者が読書にいそしむ話が出てくる。この屋上では夜に各国の旅行者が集まってパーティーをしたりする。隣のビルの屋上にハシゴを渡して行ったりするところは、さすが全てが混沌(カオス)のバナラシである。(笑)

面白かったのはここからだ。著者が参加したパーティーは、地元のインド人、フランス人、ドイツ人、ロシア人…。ちょっと引用してみよう。

すっかり出来上がってはしゃいでいるフランス人、インド人、イスラエル人。ドイツ人と日本人の私は、とりあえず散らかっているお皿を集めては洗ったりして、「私たちは律儀で損な国民性だねえ」なんて話していた。

…そうなのだ。日本とドイツの国民性には、大きな共通点がある。これまで海外で何度となく、ドイツとの共通点を見出してきた。アメリカのメリーランド州・ボルティモア。ここには他民族の移民街が多くあって、バス移動の際、その相違を現地の日本人ガイドさんが解説してくれた。やはりドイツ人街は圧倒的に清潔なのだ。南アのヨハネスブルグの空港で、ルフトハンザに乗るドイツ人が、搭乗口から直角に曲がり、さらに直線で100m以上直線状に整列して待っていた。しかも30分前に、である。ウェールズ人の青年に聞いたら、ドイツ人は、いつもこういう感じだという話だった。うーん。日本人以上に律儀で几帳面かもしれない。最後の極めつけは、イスラエルでの話だ。

死海から帰るバスが故障して、砂漠で立ち往生した時のことだ。無線で運転手が連絡を取っているのだが、結局後ろから来るバスに次々乗っていく羽目になった。我々日本人の感覚からは、砂漠に取り残されているのだし、老人や女性からと、まず考える。ところが、そういう感覚はなく、どんどん我先に乗っていく人が多い。結局、若いバックパッカー集団(彼らはこういうトラブルを楽しんでいて、カードゲームをやりだした。笑)と、ドイツ人カップルと私・妻・嫁さんの日本人家族が残されたのだった。ドイツ人カップルは、先の大戦の件での遠慮もあるのか、なかなか乗らなかった。次に来たバスは、3人が限界だった。故障したバスの運転手は「ジャパニーズ、君たちが乗れ。」と言った。ドイツ人カップルに、「お先に。」と言って乗ったのだが、さも当然という感じの謙虚さだった。うーん、なんとなく同類の連帯感。

ドイツは領邦国家で長く統一が遅れた。ちょうど日本が廃藩置県する頃と同じ。以後、保護貿易体制を取り、英仏に追いつき追い越そうと勤勉に努力を重ねる。その辺も似ている。プロテスタントといってもルーテル派が多い。だからカルヴァン派的な個人主義=民主主義=資本主義という英仏の近代の方程式ではなく、まず国民国家化を目指したのも似ている。この辺は、比較文化論の興味深いテーマだ。

律儀な国民性の日独枢軸。この分野では、イタリアは異質で枢軸たりえない。(笑)私の出合ったイタリア人は、ブルキナの空港でエールフランスに搭乗する列の前にいたカップル。私の着ていたユネスコのサッカーのユニフォームを見て「俺たち、イタリア人だ。それ、いいね。」と自己紹介した後、すぐに堂々と長い~キスをするような奴らだったぞ。(笑)

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