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昨日、政治経済の授業でいよいよ憲法を教えることになった。生徒に、この不思議さについて問いかけたのだ。今の生徒たちにとっても天皇との距離は遠い。「天皇陛下の名前を知っているかぁ?」彼らは当然知らない。沈黙。「平成」というとんでもない答えが返ってきた。元号と天皇の名前について解説して、「昭和天皇」は「裕仁」というお名前だったことを教える。では今上天皇は?と聞くとやっと「明仁」という名前が1人から出た。うむ。当時の私もそんな感じだった。あまり学校では教わらない。当然だと思う。
第一条が天皇であること、それは日本国憲法の歴史的背景を知らねばならない。それは幕末・維新から明治、大正、昭和、そして敗戦という近現代史そのものでもある。
尊皇思想のルーツは水戸学である。幕末の水戸学の総帥徳川斉昭が攘夷を唱えたところから尊皇攘夷のスローガンが生まれ、それまで不遇をかこっていた京都の天皇に俄然光が当たる。尊皇攘夷をかかげて経済的自立を実現した雄藩が倒幕し政府を成立させるが、確固とした政治目標は植民地化を防ぐという一点しかなかった。まず、訪欧した山縣有朋が西郷を引き込んで、「廃藩置県」を行い、国民国家化する。これこそ明治維新の最大の革命であると私は思っている。岩倉訪欧団によって、民主主義化・資本主義化を行い近代国家化を目指すという目標を設定するが、木戸も大久保も、憲法については「日本的な」ものにすべしという結論を得る。この「日本的な憲法」こそ天皇制に他ならない。非キリスト教的個人主義といっても過言ではないだろう。
その後の近現代史は、この天皇制を確立しながら進むといってよい。大日本帝国憲法はその基軸である。基本的には、天皇主権というのは、まさに日本的な「たてまえ」でしかない。昔から天皇というシステムはブラックボックスである。だからこそ万世一系で続いてきたわけで、周辺の者が権力を行使してきた。それが昭和になって統帥権をもつ軍部を暴走させてしまう。
戦争責任が、「たてまえ」では「主権者」であった昭和天皇にかせられるか否か。非常に難しい問題だ。東京裁判で、天皇はその追求の危機にさらされた。GHQはその回避をはかる。それが彼らによって急いでつくられた日本国憲法の草案である。東京裁判より早く、日本の象徴と規定してしまえば、東京裁判で戦争犯罪人として断ずることは不可能になる。
このため、日本国憲法第1条は天皇なのだ。
昨日は、この半分くらいをひたすら講義した。50分だが、3時間分くらいのパワーを使ったのだった。いや、そもそも、この謎を解くために何十冊という本を読んだ。どれくらいのパワーを使ったか、そっちのほうが重要だと思う。
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