W杯出場が決まったということは、中学生にも46歳の僕にも、日本のみんなにW杯に出る権利ができたということ。扉は開かれた。この1年で勝つために力をもう1ランク上げるよう「みんな」が担い手となって頑張らなきゃね。
私は、このコラムに感動した。だから手帳に書き写してきたのだ。体育科・武道科相手の授業なので、「志」の強さ、深さを示すのに絶好の話だったようだ。キング・カズは、本気でW杯にいける権利を得た。私にもチャンスがある、こう言っているのだと私は思う。志というのは、そういうものだと思うのだ。みんな、真剣に聞いてくれた。
ところで、昨日のエントリーのことだが、20歳代の教員にはまだ理解できないだろうけど、「教室内カースト」をなくすための、様々な方策がある。一番重要なことは、目立たない子にこそ声をかけ続けること。なにか良い面(掃除をちゃんとしているといった小さなことでもいい。)を見つけて、褒めること、ありがとうと真心から感謝すること。陰の貢献を見逃してはならない。そういう日ごろの実践が目立たない子との信頼関係を結ぶし、教室内の平等性が保たれる。
様々なイベントで決め事がある時は、6×6討議やバズセッションという、大きな声を出せない子の意見を集約する討議方法もある。これにはリーダー群の訓練が少なからず必要なので、もっと簡単に普段意見を言わない子の意見を抽出するのは、意見やアイデアを紙に書かせて提出させることだ。面白いアイデアを書いてくるし、それをみんなの前で紹介することもある。ぐちゃぐちゃ文句を言う者はいないが、もしいたらきちっと叱る。人の心の痛みが解らない者に自由を獲得する権利はない。あたりまえのことだ。
この本の中には、目立たない子には未来がない、企業に就職もできないなどといった傲慢な意見もあった。20代の未熟な教員の戯言である。はっきり言う。彼らを教師と呼ぶのは、本当の教師に対して失礼だ。私は、おとなしかったけれど、自分の意見をはっきり言わなかったけれど真面目に働き、結婚し、頑張っている卒業生をそれこそ星の数ほど知っている。「教室内カースト」の下位の生徒に未来がないというのは嘘だし、それを著者も指導教官の東大教授も、実際に確認して間違いないと認識したうえで公に発表しているのだろうな、と私は言いたい。
ちなみに昨年度担任した生徒何人かに「教室内カースト」について聞いてみた。「女子は、グループは分かれていたけど、上下関係はなかったですね。あ、男子よりは女子が上です。(大笑)」
この「教室内カースト」の著者の院生も指導教官の教授も現場のベテラン教師の(そんなカーストなど作らせないという)「志」を知らない。いや、知ろうともしていないのだ。この本の関係者に猛省を促したい。
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