光文社新書の「教室内(スクール)カースト」(鈴木翔・2012年12月第1刷)を読んだ。タイトルがなかなか刺激的であること、8万部を突破し各方面から大反響だと帯にあったことが購入の決め手だったが、この新書、まことに出来の悪い修士(博士?)論文である。著者は東大の博士課程で教育社会を専攻する院生で、ご丁寧に東大の本田由紀という教授(指導教官?)が解説をしている。
要するに学校(小・中・高)に存在する同学年の地位の差について書かれているのだが、私が問題にしたいのは調査の方法である。中学生を対象としたアンケート調査はまだいい。神奈川県の公立中学23校2874名の調査である。問題は、インタヴュー調査である。大学生10名。さらに、現役の教員のインタヴュー調査。首都圏の公立小・中・高校に勤務する4名。いずれも20代男性。
この本の中で、この大学生のインタヴューと教員のインタヴューの占める位置は大きい。だが、教育社会学という学問では、これくらいのインタヴューの数でその科学性、法則性を示せると考えているのだろうかと私は大いに疑問に思う。
教員のスクールカーストへの関わりについて、本田という東大教授は解説の中で次のように整理している。以下は原文のママである。
教師も「上位」グループにおもねり、自分が標的になることを避けるように努めていることを生徒は見抜いている。教師自身の言葉からも、自己主張ができて「カリスマ」的な「強い」生徒は「上」で「やる気がなく」「意思表示をしない」「弱い」生徒は「下」であると教師が考えていることがわかる。そして教師はこうした生徒間の上下関係を利用して、教室内の秩序を維持しようとしている。
「いじめ」をめぐる諸議論においては、教師は「いじめ」を早期に察知し、それを是正するための策をとるべき存在として位置づけられがちですが、「いじめ」の培地である「スクールカースト」の維持に教師が加担してしまっているという本書の指摘は、この問題の根の深さをあらためて示してくれるものです。
批判1 20代の男性教員4名だけのインタヴューで、このような結論を導いている。私のような50代から見ると、(自分の過去を振り返っても)20代などまだまだ未熟である。たしかに傲慢で聞きづてならないインタヴューだった。しかし、本書で語られるこの若い教員の言を全て「教師」という語彙でくくる分別の無さには、全く恐れ入るし、現場への悪意さえ感じる。
批判2 教育現場の実相を社会学的に法則性で示すのであれば、全ての校種の、男女、様々な年代からアンケートを取るなりしなければ、まったく信憑性がないのではないかと思う。特に高校など、私の経験からも、商業高校、工業高校、進学校、中堅校などかなりのサンプリングが必要だと思う。20代の男性4人だけで結論づけるなどというのは暴挙ではないか。最低でも二桁ほど間違っていないか?それを最も国家予算を得ている東大の、大学院が新書にして公にするなど、笑止千万である。
批判3 この解説の教授の文章だが、国語の先生が最も忌み嫌う文章である。生徒ならボロクソに怒られるはずである。”である”と”です・ます”混合文。よくこんな文章が公になったものだ。
はっきり申し上げる。この新書は最低である。光文社が、帯の「先生の本音に驚いた。(10代男性)」と書く神経がわからない。売れれば何を書いてもいいのか。
追記:6月7日付のブログに、さらにベテランと呼ばれる年代の教師としての反論をエントリーしています。合わせてご覧ください。
2013年6月6日木曜日
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