2013年4月4日木曜日

カール爺さんの空飛ぶ家を見る

昨夜、TVで「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。私が、本校に赴任した時、当時の3年生の女子生徒に「カール爺さんそっくりですね。」と言われて大きなショックを受けたことを思い出す。(笑)
以来ずっと見たかったのだが、我が家はビデオの機械もないし、DVDを借りて見る習慣もないし、TVの地上波登場をじっと待っていたのだった。(笑)

結論から先に書くと、非常に悲しかった。そして面白かった。ストーリーは、子供も楽しめる冒険譚だったが、大人としては、冒頭の妻エリーとの出会い、子供の流産、オシドリ夫婦の様子、そして妻の死…このサイレントの部分が、ホント心にしみたのだった。悲しい。この悲しさは、先日55歳になった(年相応の)私のようなカール爺さんと呼ばれるような輩しか分かるまい。

アメリカ人の家庭では、家族の写真が所狭しと、家の壁などに飾れている。前任校でアイオワ州の姉妹校に行った時、ホームスティさせていただいたミラー先生(彼も見事な白髪のカール爺さんである。)のお宅もそうだった。アメリカの家は、まさに家族の思い出が凝縮されているわけだ。カール爺さんが、前半部で、それらの思い出の写真や家具を守ろうと必死になった気持ちはよくわかる。後半部で、命にも等しいそれらを打ち捨てて、最後は戦うのだ。過去から未来に生きる姿は、彼の老いからの超克である。非常にアメリカ的なんだな~。

ところで、ふと、今朝我が家にはそんな思い出の写真がないことに気付いた。外山先生の「思考の整理学」の中に書かれていた『sleep over』(一晩寝かして考えること)かなと思う。妻とは、いろんな所に行っているが、私には二人で並んで写真を撮ったりする習慣がないのだった。私は写真を撮るのは好きだが、撮られるのは好きではない。まして夫婦の写真を撮ることなど…。昨夏のイスラエル行でさえ、一枚もない。(笑)

これからは、そんな写真も撮り始めてもいいかな…と思ったのだった。私には、超克すべき(形になった)夫婦の過去さえないのだった。(笑)

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