2012年12月24日月曜日

JICA関西 高校生セミナー報告2

高校生実体験セミナーのことをもう少しエントリーしておきたい。Y先生の難民をテーマにしたワークショップの話をもう少し報告しておきたいと思う。難民問題をシミュレーション的に学ぶことは大変難しい。単に、不幸だ。かわいそうといった感情的な見方に陥る危険もある。その点、Y先生のワークショップは当然ながら素晴らしいものであった。昨日書いたが、10年ほど前、私はこのY先生の難民問題のワークショップを受講したことがある。

今回のY先生のワークショップは、およそ3部構成になっていた。まず、仮想の3人家族をつくる。名前や年齢、父、母などを自分たちで決めさせる。今回は教員チームも参加だったので、私はO大付属H校舎のK先生、府立O高校のY先生と家族になった。お二人とも国際理解教育に踏み込んだばかりなので、少しばかりリードすることになった。で、その仮想家族、真っ暗な中で離ればなれになり、戦車の侵攻の効果音の中、目をつぶって互いの名前を呼び合い再会するのだ。(ちなみに、我が家族は、私がキバキ、K先生がカガメ、Y先生がケニヤッタだった。笑)全員が家族を見つけ出すのにどれくらいかかったか?という問いかけに、生徒は「2分」や「3分」と答える。Y先生の大切なコメント。「実際には1分ほどしかかかっていない。これが現実だったら、もっともっと長く感じるのではないか?」その後、3人家族で難民教材で理解を深める。家を出る時、何を持って出るか?時間的に追いつめられた中で決断を迫られる。(前回はもう少し時間をとったような記憶がある。)何か3つだけもって、難民教材に駒を進める。この教材は10年前と変わってない。(画像参照)この画像は私が10年前にメモし、自宅でエクセルで再現したものである。前任校の校内の研究発表紙に詳細なレポートを書いたし、その後カラー版にしたオリジナルの教材も作ったのだが、結局私は自信がなくて難民問題に手を出さなかった。そうしているうち、Y先生の教材は本になり出版された。(もちろん私は持っている。)その努力は無駄になったように思えるが、初めてのセミナー参加で感激し、この教材を書きうつしたことが、以後の私のオリジナル教材作成のきっかけになったのだ。そういう意味でY先生は私の師的存在である。

今回のワークの第2部にあたるのは、Gさんというベトナム難民の方のお話を実際に聴くことである。サイゴン陥落後、船で逃げ出したGさんたちはギリシア船籍の船に助けられる。それまでの苦難は想像を絶する。陸路の難民も危険だが、海路も凄い。まずその乗船人数である。昨日の画像で紹介したが、前に座っていた生徒が実体験した。これは凄い。多くの乗員が体力を使い果たしてしまったという。私が最も印象に残ったGさんの話。「ギリシア船籍の船はロシアの文字に見えました。漢字の船は中国の船だと思いました。」つまり、社会主義政権から逃げてきたGさんたちは、何より社会主義国の船に拾われることを恐れていたのだ。(たしかにロシアのキリル文字はギリシア文字から派生している。)だから、船に拾われるのもカケだったわけだ。凄い話だと私は思う。(10年前はこういう話はなかったように記憶している。)

第3部は、仮想のベトナム難民の中学3年生を巡って、聞き取り調査をしながら意見をまとめていくワークショップである。これも10年前に経験済みだが、隣に座る若い府立O高校のY先生などを見ていると、新鮮な気分になるのであった。
このワークショップ、仮想の話なのだが、ベトナム難民の人々となんとか仲良くやろうとして失敗する町内会長の話が日本の多文化共生の現実について、極めて示唆的である。町内会長がベトナム大使を祭りに呼んできたり、野球の試合でベトナムの国旗(赤字に黄色い星の北ベトナム国旗)を配ったりして、ベトナム難民を激怒させるのだ。無知は罪である。こんなところにもESDの重要性がある。改めて考えさせられたのだった。

私にとっては、初めて国際理解教育に触れたJICA大阪でのセミナーと同じテーマだったからこそ、何か新たな風を感じたJICA関西でのセミナーだったわけだ。
JICA関西はじめ、Y先生、今年もファシリテーターをしていただいたS先生、そして関係各位に改めてお礼申し上げたい。

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