Waterloo |
久米は、オランダでこう書いている。「オランダにいたれば、九州の筑肥四州に比すべき人口にて塗泥の中に冨庶を謀る景観を見る、皆、我の心思に、多少の感を与うるなり、ああ、天利に富めるものは人力に怠り、天利に険なるものは、人力を勉む、これ天の自然に平均を持するゆえんか。」久米の感想は一行の多くにとっても同じだったらしい。…この二小国が大国の狭間で頑張っていることに大いに学ぶことが多かったらしい。
ドイツで一行はエッセンのクルップの工場を訪ねている。わずか14歳で小さな鋳物工場を継いだアルフレッド・クルップは、スプーンの圧延機を発明して企業の基礎を固め、鋳鋼砲の製造を手掛けていく。プロシアのの富国強兵策に乗じて発展する。50トンの大ハンマーで大砲の大筒が叩かれ、地響きを立てていたという。英国でアームストロング社を見学していた一行は、まだ後進と思っていたドイツにもこのような同様の巨大な兵器工場があることに目を見張ったのである。普仏戦争で勝利したドイツは一躍世界の脚光を浴びていた。日本も陸軍の手本をフランスからドイツに変更していくのである。アルフレッド・クルップがここまで発展させるのに25年かかっている。しかし25年あれば小さな町工場が世界に冠たる巨大工場に発展しうるということを彼らは学ぶのである。
しかし、首都ベルリンではやはり後進の二等国という印象が強かったようだ。当時は戦勝気分でタガがゆるんだのか、巨額の賠償金でにわか成金風になったのか、退廃の気分が蔓延しており、兵隊と学生が我がもの顔で歩き、公園では酒を飲んで放歌高吟、路傍に小便を垂れ、ポルノ写真まで売りつけられたのである。このころのドイツはまだまだヨーロッパの田舎者だったのだ。
とはいえ、ビスマルクと会い、「文明の城、法治国家も、文明の掟、万国公法も、いずれも力の背景があってこそ、思えば国内法といえども守るには力がなくてはならず、いわんや国際間において法律のみを信じるわけにはいかない。その裏付けに軍事力があってこその万国公法である。」という彼のスピーチに、うすうす感じていたヨーロッパ列強のロジックが、判然としたのである。
久米はつらつら思うのである。『勝つものは之を誇耀し、破れる者は憤恨し、一の銅像、互いに奪い互いに復せんと、怨恨の種を植えて、世のおわるまで除かず、そもそも是を毀って恨を銷さば、あに他日保和の善謀に非ざらんや、西洋の列国の政は、民に聴いて成る、血をふみて凱旋する際には、人気激昂し、これらの挙をよくするに非ざれば、軍気を鎮すべきないか、将来ベルリンの銅像を、仏人再び之を仏国都に置かんと欲し、この庫の銅像、デンマーク人もまたこれをその都に恢復せんと欲する、かつてやまざるなり、これあに終極あらんや。』仏教的な寛容の精神や儒教の教えからくる調和論からすれば、まことにあきれ果てた愚かな論理だと漢学者・久米は言いたいらしい。
…改めて、今年、『EU』がノーベル平和賞を受賞した意味を深くする一文ではないだろうか。
とても魅力的な記事でした!!
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
職務履歴書さん、コメントありがとうございます。この文庫本は、世界史・日本史の教材研究の一級の資料だと思います。開発経済学の視点から見ると、さらに様々な視点が明らかになります。
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