韓信の股くぐり |
と、いうのも中国の風土、とりわけ農耕地帯と遊牧地帯の関わりをまずきっちりとやった。(1月7日付ブログ参照)この構造を理解しないと中国史はわからないからだ。
殷、周、春秋、戦国と歴史的な事項を追うわけだが、易姓革命的な思想を殷と周のところで語った。周のポイントは、封建制という政治制度と、宗家・宗法という中国の伝統的なしきたりである。どうも中国を国家として見るのは無理がある。中国をヨーロッパと比較して教えてみた。ヨーロッパをある程度統一できたのは、ナポレオンとヒトラーくらいだ。地方で分立している姿こそがフツーだと言って良い。春秋時代と戦国時代の相違を宗家・宗法という視点で語る。分立していても一応のタガがあった春秋時代と、それさえはずれた戦国時代。この辺が中国史の面白いところだ。
春秋時代とくれば、諸子百家である。普通はさらっと流すところだろうが、倫理の教師としてはそれでは物足りない。儒家と道家にしぼって話すことにした。孔子、孟子、荀子。老子、荘子。仁の意味や、四端の心、五輪・五常。無為自然、無用の用。胡蝶の夢。日本の多重性の文化構造にも触れて、朱子学の理気二元論も説明した。漢文などでは習うらしいが、私はこれくらいの中国思想は最低限の教養だと思う。
一方、故事成語もこの辺が起源のものも多い。呉越同舟や臥薪嘗胆。秦の終わりには、項羽と劉邦の話から四面楚歌や乾坤一擲、韓信の股くぐりや陳勝のコトバなど。国語の授業で意味だけ教わるより世界史でやった方がいいと私は思う。京劇の紹介もした。虞美人草など、教養として知っていて欲しいと思うのだ。
秦がなぜ国家統一できたのか。ちょうど古代の技術革新期で辺境にあったことが幸いした。農業生産の拡大が容易だったからだ。人口支持力の拡大が、人口増、軍事力の増大へと結びついていくのである。こういう唯物史観的な視点も重要だ。
秦は法家で理論武装し、焚書坑儒した。秦を倒した劉邦とその一味は道家を好んだが、武帝の時代になると儒家が官学になる。王莽は、宗家が違う故に皇帝位を禅譲されたが、新という別の王朝を作ることになったが、そもそも周への回帰を訴えた儒家だった。こういう変遷も興味深い。
中国の王朝のつぶれ方の法則のようなものがある。宦官と外戚の横暴により中枢がマヒする。遊牧民の侵入。最後の決め手は農民反乱。全部が当てはまらないこともあるが、だいたいこういううカタチになる。実に面白い。
そんなことをやっているうちに学年末考査になったという次第。まーいいか。世界史受験希望者には春休みにガンガン補習するつもりである。
新年から世界史の講義をはじめ、週2コマで、ヨーロッパはフランス革命まで終わり、中国史は今週の2コマで殷~前漢までやりました(笑) 日本史は昨年末までに同じペースで江戸末期まで行きました。受験対策なのでしょうがないのですが、もう少しいろいろな雑談を交えたいところですが、しょうがありません。将来、歴史小説を手に取ろうと思った時に、少しでも予備知識としてキーワードぐらい残っていてくれれば…と期待はしています。
返信削除非常勤講師さん、コメントありがとうございます。聞くと世界史Bなのに受験する生徒は一人だったので、思い切り好きなようにやりました。私は属性が社会科の生命線だと信じているのでこういう結果になりました。(笑)
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