先日、梅田のJ堂書店に行ったとき、沢木耕太郎の『旅する力 深夜特急ノート』の文庫本を手に入れた。沢木耕太郎の「深夜特急」は私のバイブルである。深夜特急の誕生前夜の秘話、そしてその後日談が載っている。通勤時間が半減したので一気に、とはいかなかったが、自宅で少しずつ読んだりしながら今日読み終えた。こんな面白い本にこれだけ時間がかかるとは…。この調子でいくと読書量も半減しかねない。ちょっとイカンと思っている。
奈良教育大のG君も、今読んでいるという『深夜特急』。この深夜特急・最終便は、それ以外の沢木耕太郎の作品(若き実力者たち・破れざる者たち・人の砂漠・テロルの決算・一瞬の夏・壇・オリンピアなど)も読んでからでないと、わからないことも多いので、それらを読んでから、この本を読む方がいいと思う。
ここでは、私の印象に残ったことを書いておきたい。興味をもって、これから読もうと思われる方は読み飛ばされますように。
88P:沢木氏がテヘランで会う磯崎・宮脇ご夫婦とハワイで会食した際、ウェイターとの会話で困った時、宮脇さんが「そんな時はね、have を使えばいいのよ。」と教えてくれるシーン。
『たったひとつの単語、たったひとつの言いまわしを知ることで世界が開けるということを知ったことが大きかった。』『私が、結果として1年に及ぶ長さになってしまう旅に出るのは、そのすぐあとのことだった。まさに<have>という単語ひとつを携えて。』…そうなのだ。まさにそうなのだ。私のサバイバル・イングリッシュも、<have >の乱用を基調としている。これは正しいと証明されたのだった。
116P:旅に当たって様々なカンパを沢木氏は受け取っていく。その中で溜め息をつきたくなるような渡し方をしてくれた文藝春秋の松尾氏。きれいな100ドル札が1枚。
『私が感動したのはその額の大きさではなかった。これから異国に旅立とうとしている者に、百ドル札を1枚渡すというふるまいに粋なものを感じ、参ってしまったのだ。』『私はその百ドル札をパスポート入れの奥深くにしまい、何かがあった時のためにと使わないでおいた。実際その百ドル札が1枚あることでどれほど励まされたことだろう。』…結局沢木氏はこの100ドル札を使わないままで帰国する。以後、知人が外国に行くとき同様の餞別を贈ることになる。…実は私も、一度だけ高校2年生でカナダに私費留学する教え子に、阿倍野の両替センターまで行って、米ドルとカナダドルにわけて餞別をしたことがある。これは、カナダでの米ドルとカナダドルの立場を理解してもらうためにわざわざそうしたので、”粋”とはいいがたいが、ふとそのことを思い出した。私も昔々、始めてアメリカに行くとき、当時の校長から米ドルで餞別をもらったことがある。…なんか嬉しかったよなあ。ちょっとした事だけど、やっぱり粋だと思う。
149P:マレー半島で知り合った駐在員夫婦との会話の中で得た考え方。
『わかっていることは、わからないということだけ。私はその言葉を常に頭の片隅に置いていたような気がする。そして、その言葉は、異国というものに対してだけでなく、物事のすべてに対して応用できる考え方なのではないかという気もした。(中略)私がこのユーラシアの旅で学ぶことのできた最も大事な考え方のひとつとなったのだった。』…このことは、私もジンバブエ行やブルキナ行で得たものである。結局わかならい。でもわからないということがわかったことが重要なのだと思うのである。
177P:バスでひとり旅をするということについて。
『ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。』…沢木氏は、ひとり旅をこうも表現している。『ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈着し、忘れがたいものになっていく。』
…そう、ひとり旅とはそういうものだと思う。ひとり旅は自分を知る旅である。私も『深夜特急』に触発されて、アメリカやアフリカをひとり旅した。ルート66の田舎町セリグマンでみたアリゾナの美しい夕焼け。ジンバブエの夜明けに見たバオバブ。これらを忘れがたいものにさせているのはひとり旅だった故だと思うのだ。
実はまだまだ書きたいことがあるのだが、長くなってきた。これだけは書いておきたい。沢木氏は26才でユーラシアの旅にでるのだが、それより早くても遅くてもいけなかったのだと言う。早すぎると経験が足りなくて、危険に遭遇したりした時、対応できない。反対に遅すぎると、経験値がありすぎて、食事をはじめ好奇心が摩耗してしまう。感動できないというのだ。私はこの意見に賛成できる。人と旅の方法など、それぞれ違うだろうが、『深夜特急的ひとり旅』には、ある程度の経験値と若さからくる瑞々しい感覚のバランスが必要なのだ。私が始めて海外に出たのは35才。ひとり旅はその2年後。歳をとっているが、そのバランスは取れていたと思う。だからこそ、それ以後、何度もひとり旅に挑戦したのだ。バスの窓を見ながら、自分を見たい。そのパトスこそ「旅する力」なのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿