2010年5月1日土曜日

大阪-上海・40年の歳月


 今日上海万博が開幕した。NHKをつけたら、アフリカ合同展示館のライブをやっていた。今年の中国修学旅行で”上海万博”をちょっと考えたのだが、中国の人出を考えるとすぐ「没有」(メイヨー)になった。とはいえ、万博はいい。行く予定などないが、ガボン館のジャングルのつり橋を歩きたい。きっと面白いだろうなあと思う。 大阪万博の時は、私は中学1年であった。10回行ったはずだ。部屋に万博のでっかいイラスト地図を張っていた関係で、今でもパビリオンの名前を覚えている。「人類の進歩と調和」…高度経済成長下で、都市の肥大化や交通停滞、公害の蔓延といった課題を抱えた日本が総力を挙げて取り組んだ国家プロジェクトであったわけだが、当時の私にはそんなことを考える余裕などなく、ただひたすらパビリオンをはしごした。結局アメリカ館に行けなかった。何度言っても2時間から3時間待ちだった。月の石を見れなかったのである。とはいえ、後日ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館で、見るだけでなく触ることができたが…。

 万博の一番の思い出は、親父と行った「日立パビリオン」である。<手前の風船アートのような富士パビリオンの向うに赤いUFOのように見えるのが日立パビリオンである。>このパビリオンの売りは、航空フライトシュミレーターだった。今でこそパソコンのソフトで売られているが、当時は夢の技術だったのである。親父は戦時中、海軍の航空整備兵だったので、飛行機好きは私のDNAに入力されているのかもしれない。このパビリオンでは、離陸から着陸まで観客が次々に担当することになっていた。私は、なんとしても着陸の部分を操縦したかった。一度エスカレーターで展望できる3階に上り、エレベーターで操縦フロアに降りるのだが、エレベーターに慌てて乗ろうとすると、親父が「待て、最後に乗ろう。」と言った。なるほど…。で、扉が空いた瞬間、前の操縦席に走ったのだった。運よく、それが着陸の担当席だった。コンパニオンのオネエサンに飛行開始前に決意を述べさせられた。結局、親父のアドバイスを受け無事着陸できて、他の観客から大拍手を浴びたのだった。
 
 きっと、上海の少年たちも胸を躍らせる体験をするのであろう。そんなことを考えて少し笑顔になる。  

2 件のコメント:

  1. 上海万博ついに開幕しましたね。
    プレオープンの時の報道では、まだパビリオンが未完成だったり、現地の人のマナーの悪さだったり、食の安全など不安要素ばかりが報道されていましたが、実際の所はどうなんでしょうね?
    中国は、日本と50年~30年の差があるなんて話は良く聞きますが、大阪万博の際の『人類の進歩と調和』というテーマと比べ、『より良い生活、より良い都市の創造』というテーマは、確かにまだまだ日本に追い付いていないように感じました。
    上海万博開催が決定してから、「可愛い上海人」というスローガンを掲げ、マナー向上に取り組んでは来たようですが、人の心は数年では変わらないというのがひしひしと感じてきました。

    胡国家主席が言っていた様に、中国から世界へ発展途上国として、万博を通じて伝えられることを、精一杯伝えていって欲しいなぁと思いました。
    無事に成功することを、祈るばかりです。

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  2.  全く同感ですね。中国は複雑な国というより世界です。最近はちょっと国益をガンガン追求するあまり、若者言葉で表現すると、ウザイと世界が感じているかもしれません。しかしながら、13億の人口をどう牽引するか、並大抵ではないと私は思います。

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