2010年2月27日土曜日

私の「トリビア」ノーフォーク編


 今日、久しぶりに『トリビアの泉』があると新聞のTV欄にあった。オリンピック、それもフィギアスケートの画面ばかりに私は飽食気味で、すぐTVを消してしまう。そんな中の『トリビアの泉』ある。楽しみだ。
 昔、この『トリビアの泉』に投稿したことがある。結局採用されなかった。授業で話しても、あまりうけない。かなりマニアックな話だからと思うが、ブログで公開しておきたい。
 アメリカは、ヴァージニア州・ノーフォーク。ここは、かのペリーが出港した昔からの海軍基地の町である。ここに、マッカーサーの記念館がある。マッカーサーは陸軍なのに、ノーフォークにあるのが、まず不思議だ。朝鮮戦争で核を使用したいと言い出して解任され、大統領候補として名も挙がったが、マッカーサーは不遇の余生をおくることになる。それにしても故郷のアーカンソーではなく、よりによって海軍基地の町に埋葬されたのである。その記念館に入ったのだが、日本占領時のコーナー、カラー写真のパネル展示に思わず立ち止った。東条英機がGHQにより、戦犯として逮捕されることになり、自宅で自殺未遂をするのだが、その直後の写真がおよそ畳1畳分くらいに拡大されていた。おびただしい血のあともある。よくもまあこんな展示をするもんである。勝者としてのアメリカは、時として残酷である。そのパネルの下に、東条が使用した拳銃が展示してある。東条は、終戦の時自決した阿南陸相のように割腹ではなく、拳銃で心臓を撃ったのである。それも洋室の応接間で、椅子にもたれてである。さらにいえば、びびったのか、急所を外れ、米兵の輸血で一命を取り留めた。三島由紀夫から見れば最悪の『醜悪な姿』である。さて、ここからが、トリビアなのだが、その展示されている拳銃、それは『コルト』なのであった。私は、目を疑った。ニューナンブ(当時の陸軍の正式銃)ではなく、米軍のコルトだったのである。
 この謎は、大森実の「戦後秘史」を読んで解けた。東条は、茨城県に不時着した米兵を捕虜にした際、彼の所持していたコルトを担当者に献上されていたのだ。製造番号から確認されている。とはいえ、私はどうも納得がいかない。単に美学の問題だが、ここは、やはり和室で割腹だと思うのだ。介錯人がいないなら、拳銃でもいいが、やるなら確実に頭を撃つべきだ。胸を打ち、失敗するとは全く美しくない。せめて、せめて米軍のコルトではなく、日本のニューナンブを使うべきだと思う。
 東条は、2・26事件で人材が皆淘汰された皇道派を押しのけ、統制派の中堅どころから、一気に出世してしまった神経質な「メモ魔」と呼ばれる人物である。私は、彼について書かれた本をだいぶ読んだが、全否定するつもりはない。ただ生真面目な人物で、真意もうまく伝えられず誤解をかなり生んでいると思う。とはいえ、何かにつけ下手な人だなあと思うのである。
 ところで、マッカーサー記念館のミュージアム・ショップにも寄ってみた。私は凄い土産モノを見つけた。日本の降伏文書のレプリカである。…1枚1ドルだった。

2 件のコメント:

  1. オチは全然笑えないですねw
    昭和天皇は東条を信頼していたという本と、逆に毛嫌いしていたという本があるのですが、どちらが定説なのか御存じですか?

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  2. 昭和天皇はどう考えていたかはわかりませんが、東条は少なくとも。生真面目に天皇に仕えていたと思います。東京裁判で、天皇の戦争責任を是認(それが大変な問題になることを東条はシミュレーションできませんでしたが…)したあたり、臣下としては、共に苦しんだと思います。陸軍の教育は東条のような、融通の利かない教条主義を教え込んでいたようですから、彼だけの責任とは言えないかもしれません。猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」は、東条が総力戦で日本が敗退するという予測を知っていながら、戦争に踏み出さざるを得なかったということを描いていておもしろい本です。私は、当時の日本の優秀な人材で、経済的に恵まれなかった者が軍に入り、彼らが統帥権をタテに、日本を動かしたと思っています。天皇は明らかに英米重視でしから、東条は、生真面目にその中間に立ち苦しんだということだけは確かでしょう。要するに、人物としては中の下、生きるのが下手な小心な人物であったと思います。その東条を天皇はどう思っていたか?難しいですね。近衛文麿よりは信頼していたかもしれません。これは天皇の言行録にあります。長くなりましたが…。TVのほうは、私のトレビアより面白かったです。(笑)

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