2014年11月30日日曜日

ボコハラムとアルシャバブの相違

昨日の夕刊に、ボコハラムが、28日、ナイジェリア北部の中心都市カノのモスクで自爆テロを行い、少なくとも120人の死者を出したという記事が出ていた。28日は金曜日であり、イスラムの安息日である。多くの礼拝者が集まっていたのだと推測する。このモスクではナイジェリアのイスラムの中で最高レベルの権威者が説教を行っていて、最近ボコハラムに対抗するよう説いていたという。先日のアルシャバブのケニアでのバス襲撃では、イスラム教徒は殺害を免れた。今回のボコハラムは、批判されていたといたとはいえ、イスラム教徒への攻撃を行った。

アルシャバブがソマリア南部で統治の経験があること、ボコハラムにはそんな統治の経験がないこのとの差があるのかもしれない。それにしても、である。

これまでにも、多くの宗教的・政治的なセクトを見てみると、近いセクトほど近親憎悪が大きいのが世の常である。マルキシズムの中でも、スターリン主義とトロツキー主義に別れ、トロツキー主義の中でもセクト間の対立が、激しいうちゲバとなった。だからこそ驚くべきではないかもしれないが、極めて短慮な行動だ。どうも、ボコハラムには戦略も戦術もなく、やみくもに虐殺を行っているとしか見えない。彼らは、何と戦っているのか。

先日、イスラム原理主義を考察しつつ、あえて先進国の立場ではなく中間的な立場から、彼らの行動は、(彼らが意識しているしないに関わらず)構造的暴力への反発だと私は考えていることをエントリーしたのだが、イスラムの平等主義を推し進めるのではなく、単なる暴力をもて遊ぶ集団と呼ぶしかない場合もあるようだ。

2014年11月29日土曜日

豪・アデレードASCの葛藤

ASC HPから
http://www.asc.com.au/
結局、私も妻も体調が芳しくなく、今日のアフリカ・ミート・カンサイ(15日付ブログ参照)のイベントに行けなかった。とてもアフリカンミュージックとダンスを楽しめるような体調ではないのだ。非常に残念である。昨日は、TVで「幸福の黄色いハンカチ」を夫婦で見た。このところ、労わり合うということが多くなった。で、そういう日々の話とは全く関係ない、今日のエントリーである。

毎日新聞に、先日エントリーした(11日付ブログ参照)日本とオーストラリアの潜水艦の話が載っていた。視点は日経とは全く違う。オーストラリアの雇用問題といった趣である。日本の「そうりゅう型」潜水艦を12隻導入すると総額数兆円にのぼるプロジェクトなのだという。アデレードにある国営の潜水艦企業(ASC)では、早くも雇用が失われるとの心配の声が出ている。

以前、アデレードには、三菱自動車の生産拠点があったらしい。2008年に操業を停止した。理由は、賃金上昇である。オーストラリアの労働者賃金はアメリカのように週給制らしいが、時給にすると最低賃金は1700円。東南アジアに押されて二次産業の国際競争力を失ったわけだ。GMやトヨタも生産拠点を移すらしい。このASCは、そういった中にあって、三菱自動車の工場から労働者の受け皿になったという。

まだ、どういう方法で日本の潜水艦を建造するのか決まっていない。日本で製造するのがオーストラリア軍にとっては理想だろうが、アデレードに数百人規模で日本人技術者が来てくれないものかと市長は期待している。技術の機密の問題や、ASCの技術力への不安(オーストラリアの国防相の発言)など論義が過熱しているらしい。

…国民国家と経済のグローバル化のコンフリクトの実態を教える上で、格好の教材ではあるが、実際問題、アデレードの人々だけの問題ではなく、こういう産業の空洞化は先進国でも経済格差問題を生んでいるわけで、やはりうーんと唸らざるを得ない。

2014年11月28日金曜日

WFP エボラ3カ国の食糧難を憂う

日経の朝刊に、APを通じてWFPが、エボラ出血熱の感染地域である西アフリカ3国の100万人が食糧難に陥る恐れがあると伝えたという記事が載っていた。現在、3カ国の隣接国は国境を封鎖しており、人や物資の動きを制限しているのが、最大の原因である。一部の航空会社も運行を停止しているほか、コートジボワールのアビジャンも3カ国からの寄港を禁止したという。要するに、感染地域は極めて孤立を深めているというわけだ。

…WEBで、3カ国の穀物自給率を調べてみた。少し古い統計になるが、2003年現在で、最も高いギニアで73,0%、シエラレオネが39.2%、リベリアが21.5%となっている。もともと、アフリカの穀物自給率は低い。アフリカの貧困の最大の原因は、農業生産性が低く、穀物自給率の低さを他の財で外貨を稼がざるを得ない故である。常に飢餓の危機が襲うわけだ。(平野克己先生の開発経済学の中核である。)

こんな状況下で、隣接する3カ国が閉鎖された場合、当然穀物価格が上昇するし、3カ国の財が不足分を補えるとは思えない。シエラレオネとリベリアのダイヤモンドの輸出は今も健在なのだろうか。WFPとしては、当然のようにその辺をシミュレーションしていることだろう。緊急事態ではあるが、3カ国の穀物生産が崩壊しない程度に、慎重に食料支援をしてもらいたいものだ。というのも、無料の食料が一気に供給されると、高騰していた穀物価格が一気に下がり、穀物を生産する農家の収入が不安定になり、持続可能な農業が破壊される恐れがあるからだ。善意の支援策が現地の農業を破壊することがよくあるのである。

「市場を飼いならす」とは、かのアマルティア=センの名言である。今やクレイジーだといっていい金融資本に操られたグローバル経済を飼いならすことは不可能に近いが、緊急事態の閉鎖された3カ国での市場を飼いならすことは十分可能ではないか、と考える次第。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM1601E_W4A810C1FF8000/
<世界の穀物自給率マップ2003年>
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0319.html

2014年11月27日木曜日

「アメリカニズム」の終焉を読むⅡ

http://matome.naver.jp/odai/2140849465241990001
昨日エントリーした「アメリカニズム」の終焉(佐伯啓思著/中公文庫)を読んでいて、示唆的な箇所に遭遇した。「アメリカの没落?」と題された章で、政治学者A・ハッカーがの『アメリカ時代の終わり』という書物の内容を紹介した箇所である。書かれたのは60年代末期である。少し引用したい。

第1に、現代(1960年代)のアメリカは巨大な株式会社組織の時代である。個人は生活や価値観を組織に依存しており、もはや独立した個人ではない。、これらの「組織人」は巨大な中間層であり大衆社会をつくりだした。

第2に、こうした「組織人」になれない「余分のアメリカ人」がいる。成功することにしか名誉を与えないアメリカでは、この経済的な敗者はほとんど社会から相手にされないことになる。

第3にアメリカ人の個人主義的、自由主義的な傾向は、政府に対する不信感をかもしだす。「アメリカ人はほとんどすべての政府機関を本質的に非合法なものとみなしている。」人々は新たに獲得した自由を権利とみなし、それと対照的に、公共的活動、政府の活動はそれをおびやかすものとみられる。しかも、政府は民間の人々の生活に責任をもたねばならないと考えられている。

第4に、アメリカには個性のイデオロギーとでも言うべきものがあって、個人主義、個人の能力や権力が強調される。しかし、実際には「大部分の人は平凡である。そして、平凡な人々は彼らが住んでいる時代や社会や環境にかかわりなく、どこまでも平凡である。」現代では人々は個性のイデオロギーに踊らされ、自分が非凡な何者かだと思いたがっている。個性にこだわりすぎた結果、誰もが、その個性が実現できないのは社会が悪いからだと考える。自分は社会によって不利益をこうむっていると考える。

第5に、デモクラシーの成果として、学問はどんどん凡庸なものになる。平凡な学者が恐れるのは他人から批判されることである。だから彼らは間違いを指摘されることのないことしかやらなくなるだろう。

著者の佐伯啓思は、このような状況はますます深刻化していると指摘し、アメリカでは、ただやみくもに自分の権利と利害ばかりに敏感で、政府の仕事に反対さえすれば個人の自由の拡大になると錯覚した自己中心主義者を作り上げてしまった、またデモクラシーは、凡庸であることがむしろ賞賛すべき社会的権利であるかのような精神を生み出してしまったと嘆く。問題なのは、精神なのだと。

このところミズーリ州の黒人青年が白人警官に射殺された事件から起こった暴動とその抗議デモの拡大のニュースが流れている。その事件の核心はよくわからない。だが、「第2」に書かれた人々にアフリカ系アメリカ人の問題がからんでいることは間違いがない。アフリカ系アメリカ人の未だに解決されないいらだちも理解できる。しかし、オバマ大統領が何の解決策も見せていないという批判が全米中でおこっているとの新聞記事もあった。こうしてみると、この5つの指摘、極めてあたっているといえるだろう。マスコミの凡庸さも含めての話だが…。

2014年11月26日水曜日

「アメリカニズム」の終焉を読む。

佐伯啓思の「アメリカニズム」の終焉(中公文庫/本年10月25日発行)をこのところ集中して読んでいる。初版は93年4月なので、書かれてからだいぶたつが、なかなか勉強になる。通勤時に赤線を引きながら読んでいる。はっきりいって社会思想の学術書である。私の読解力で消化した部分について、エントリーしてみようと思う。

本書では、アメリカの「リベラル・デモクラシー」が論考の中心となっている。極めて乱暴に言ってしまうと、リベラリズムとは自由を求める自由主義のことであり、デモクラシーとは平等を求める民主主義である。この歳まで不勉強で、この二つをかなり混同していた。リベラリズムは、専制権力(中世的な宗教的権威や神聖ローマなどの貴族階級の支配)からの自由・解放を謳う。一方、デモクラシーは、人民主義・平等主義である。思い起こされるのはフランス革命時の急進的なジャコバン主義である。この二つは、実は、ヨーロッパでは実はかなり対立する概念なのである。貴族的なものーリベラリズムーデモクラシーといった階級的な理解も可能である。リベラリズムには、デモクラシーへの恐怖があるわけだ。

このリベラリズムを中心に、デモクラシーを抑えつつ(労働者の権利の主張を穏健に抑えながら)世界に覇権を唱えたのが19世紀のイギリスであり、20世紀はアメリカの世紀となった。アメリカはリベラリズムとデモクラシーを結びつけ、「リベラル・デモクラシー」として普遍的な概念に高めていった。

アメリカには、ヨーロッパのような専制的な権力(貴族階級)がそもそも存在しなかった。大衆的なポピュリズムが強いアメリカは、権利において同等、生活においても同等という人々が大衆社会を形成していた。産業の発展とともに、リベラリズムは、もっぱら消費者としての自由、生活設計者としての自由、ビジネスの自由といった経済的自由に転換されていく。またデモクラシーは生活の均質化、所得配分の平等化といった経済的平等となった。

この「リベラル・デモクラシー」は、アメリカが普及させたというよりは、他国が追随したといってよい。特に、日本はこの優等生であり、当のアメリカ以上に成功させたというわけだ。

…師走の総選挙である。我が国民が、選挙の争点としていることは、毎回同じだが、景気回復であり、社会保障である。なるほどなあと思う。

2014年11月25日火曜日

毎日 アルシャバブとタリバン

辞任した国防長官
このところ、世界史Bでイスラム原理主義の動きを論じている。毎日新聞に、昨日ソマリアのアルシャバブの動きの記事が載っていた。ケニアとの国境近くで、ケニアの乗り合いバスが襲われたという。イスラム教徒以外の28人が射殺され死亡したという。おそらくAU(アフリカ連合)がらみの報復だろうが、なんとも息苦しいニュースである。

今日の朝刊、アフガニスタンでも、バーボール大会で自爆テロが起こり、子供を含む50以上が死亡したという記事があった。こちらはタリバンに同調する武装勢力の関与が疑われている。タリバン本体は西部で400人を超える部隊を率いて、警察署や検問所を襲撃、カブールでは警察本部内部で自爆テロ、厳重な外国人居住区でも自爆テロがあったという。新政権へのゆさぶりだろうが、これも息苦しいニュースである。

…同時に、アメリカのヘーゲル国防長官が辞任したという。共和党の元上院議員でありながら、イラク戦争時に米軍派遣に反対したという変わった人物だ。しかしシリアへの対応でホワイトハウスと対立していたという。彼の辞任で、一気に陸上部隊派遣ということにはならないと思うが、アメリカも混乱している。

…このような息苦しい事態がいつまで続くのだろうか、と思う。グローバル化の中で、ますます構造的な暴力が拡大していく。富の再配分が十分に行われない限り、終わりそうにないと絶望的な感想を書かざるを得ないのだけれど、生徒にはこの事実をぶつけるしかない、と思っている。

2014年11月24日月曜日

映画「あなたへ」を見る。

この三連休、私も妻も体調が芳しくない。結局、行こうと言っていた京都や兵庫での展覧会にも行けなかった。今日も、野球部の引退試合(2年生との練習試合)があるのだが、風邪気味なので遠慮することなった。

昨日は、TVで高倉健さんの遺作となった「あなたへ」を夫婦で見た。以前NHKのプロフェッショナルで高倉健特集をやっていて、この映画の撮影現場を見ていたので馴染みがあった。長崎県平戸の話であることも知っていた。特に大滝秀治さんとのやりとりは凄みさえ感じたくらい印象に残った。

「あなたへ」は、いい映画だった。内容を詳しく書くのは、これから見る方もおられるだろうし、悪趣味だと思うので書かないが、高倉健さんの妻を失った喪失感が痛いほど突き刺さる。平戸の写真館で、妻の昔の写真に、グーでタッチするシーンと、(大滝秀治のセリフに出る)平戸の美しすぎる海は、この映画のハイライトだろう。

しかも、今日NHKで、高倉健さんのプロフェッショナルを再放送していた。改めて、昨日の映画を見たような気がした。健さんの姿を見ているだけで、人生というものを考えてしまう。

ホント、このところ妻の体調が芳しくない。ずいぶん痩せてしまった。いたわり合いながら、日々を過ごしていかなければ、と思うのだ。高倉健さんの最高の演技に感謝したい。合掌。