初心和するるべからず F36国費生が日本に向かった時 KLIAにて |
今、四国にあって、関西弁のパーセンテージは、大阪にいる頃(完全100%)よりだいぶ少なくなっている。30%くらいではないだろうか。(もちろん妻と話すときは100%だが)これは、PBTで矯正されたものであると思う。日本語学習を始めて1年くらいの学生に、関西弁は難しい。授業では、かなり意識していたつもりなので、そのくせがついてしまった。(笑)
とはいえ、初期のF36では、関西弁がほぼ100%で、ずいぶんと聴解するのに苦労させたと思う。最初の授業など、関西弁でアジア通貨危機について大阪の高校生相手同様にバンバン話していたのだから…。ほんと、F36の学生諸君が優秀で良かったと思う。後の学生より難しく教えたのにF36Cの国費生は、EJUの社会で歴代最高平均点をたたきだしてくれたのだった。私は実に恵まれたスタートを切ったのだった。
そんな彼らがもう、大学を卒業する。一番日本語が苦手で心配したB君も無事T大学を卒業したという。彼は優しく、ムスリムとしても優秀だった。ラマダン明けの食事会の時、まずデーツ(なつめやし)から食べてくださいと教えてくれた。私がマレー人と同様、手で食べているのを満面の笑みで喜んでくれたのだった。ただ、日本語は苦手で、EJUと修了試験を経て日本留学が決定した時は感激して号泣していたのを思い出す。夏休みに日本人の友人と共にPBTに来てくれた。成長した日本語に実に驚かされもした。
彼らの本当の出発はここからだ。日本に残る者、マレーシアに帰る者、それぞれだが自分の進むべき道を歩んで欲しい。
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