2021年3月13日土曜日

今再び愛媛県歴史文化博物館

 一昨年の12月に一度訪れた愛媛県歴史文化博物館を今日再訪した。理由は天気が良かったことである。というのも、入試の関係で3日間自宅勤務で家にいた。今日は「晴れて」自由に動ける日が訪れたからである。妻がこのところ、「村上水軍」のYouTubeを見ていたりして、行こうと提案したのだ。そう、前回は駆け足で回ったので、今回はじっくりと見ることにした。しかも前回はこちらに来て間もない時期であり、佐田岬半島に1年半住んで様々な予備知識が入っている。同じ展示でも大きく深みが増したし、新たな発見もあった。

その1つが、同じ公営塾のある「弓削島」が、中世、東寺の荘園であり、かの「不輸不入」の特権を得ていた場所だということである。塩を送っていたという話もある。不輸不入という日本史用語を属性を持って接することが出来たのは、ホント初めてである。

2つ目が、宇和島の伊達家博物館で探していた、「日本最初の蒸気船」の模型がここにあったことだ。(前回は不覚にも見逃していたようだ。)どんなものなのか、大いに興味があったので見つけることが出来て実に嬉しい。予想どおり和船を改造したもので、中央に外輪がついていた。(上記画像参照:拡大可能)

3つ目というか、廃藩置県の展示が面白かった。愛媛県はかなりの藩に分かれており、松山藩がそれに従い、次々と廃藩していく。宇和島藩の支藩としての吉田藩も同様だ。(吉田藩については、鬼北町の一揆記念館で知った。)この辺の視点は佐田岬半島が宇和島藩所属故に気になるところだった。

中江兆民と植木枝盛
また、第1回帝国議会(衆議院)の座席表や相撲の番付表のように議員名を配置した展示があって実に興味深かった。私は、高知県の当選者に「中江兆民」の名を探したのだが、そこに「植木枝盛」の名を発見した。(後で調べると、中江兆民は大阪の選挙区から当選している)そうか、植木枝盛も最初の代議士であったのかと、初めて知った。もう少し、詳しく解説すると、両者とも土佐の出身である。中江兆民はルソーの社会契約論を翻訳した人物で、倫理で出てくる。帝国議会で当選、その後再選前に辞職していることを教えたこともある。植木枝盛も自由民権運動で有名、大学の社会思想史で習った人物であるが、兆民に比べるとちょっと印象が薄いのだった。この発見も、意義深い。

https://ehime-c.esnet.ed.jp/soumu/kouhouehime/24kouhou_187/oshirase/oshirase.html
一方、企画展示として、おひなさまの展示がされていた。(これも楽しみにしていた。)大名所蔵のものは、調度品に至るまで超一級の工芸品でかなり凄いものだったし、明治天皇の変わり雛が展示されていて実に興味深かった。これは不敬に当たらないのか、という感想。(笑)

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