2021年3月11日木曜日

3.11から10年

風の電話 https://miraikoso.or.jp/post-2072/
東日本大震災から今日で10年である。朝、伊方町の町役場から、黙とうの実施のお知らせがスピーカーから流れた。

10年前、私は大阪市立M高校の正門付近のベンチでタバコを吸っていた。(この頃は校舎外の喫煙は全く問題がなかった。)なにか体が揺れたので、血糖値が高いのかなと思っていたら、学校の前の畳屋のご夫婦が飛び出してきて、「先生、地震やで。」と叫んだ。電線をみたら、なるほど揺れている。大阪は震度3くらいだったはずだ。

職員室に戻っても、普段とは変わりなかった。1時間ほど国際交流部の仕事をして戻ると、状況は一変していた。TVで千葉の化学工場が大火災を起こしていた。津波の被害を聞いたのは、妻からのメールであった。帰宅後は、TVは全て震災の報道一色になり、その後ほとんどのバラエティー番組が無くなり、民間企業のコマーシャルも無くなった。政府広告機構の挨拶のコマーシャルだけになった。

そんな中で、3月下旬、私は秋田商業高校に視察に出かけたのだ。雪の残る秋田空港に着き、岩手の方角を向いて、まず黙とうをささげたのを思い出す。ちょうど、このブログを書き始めたことの話である。

被災された方々や支援に向かわれた方々の想像を絶するご苦労を想うと胸が苦しくなる。それは、10年たった今も同じだ。阪神大震災を経験した関西人として、東日本大震災を経験した日本人として、そして教育に携わる者として、生徒たちに、その経験と防災の重要性を伝えなければならない。いつまでたっても、この日を忘れるわけにはいかないと思う。合掌。

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