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その後、木戸が病死し、(西郷が切腹し)大久保は暗殺される。木戸の子分で、木戸の精神的疾患もあって、後に大久保についた伊藤博文が、この天皇中心の憲法作成という衣鉢を継ぐことになる。大日本帝国憲法の天皇主権は、ブロイセン憲法がルーツではなく、はるか昔の岩倉使節団での木戸と大久保の共通のアイデアにある。
大日本帝国憲法は、欠陥憲法であると私は思う。天皇主権を主張するあまり、内閣の各大臣の任命まで天皇としたことが、統帥権と相まって軍部独裁への道を開いたことは間違いない。つまり、陸軍大臣、海軍大臣が内閣不一致な意見を持つと、内閣総辞職せざるを得ないシステムであったからだ。天皇は、「玉」である。天皇主権は、極めてあいまいなカタチであって、昭和天皇は何度か、自分の持つ「権威」の威力を知ることになる。軍部やそれを許した首相(張作霖爆殺事件時の田中儀一内閣)を下問した際、辞表が提出され、以後自分の意見を押し通すことを極力避けるようになった。2.26事件の際は激高したらしいが、これはあくまで信頼する臣下(高橋是清ら)を殺され、首相、侍従長、内大臣等が不在となり天皇が(内閣の輔弼なしで)裁可せざるを得ない状況におかれたこともある。昭和天皇は君臨すれども統治せず=「玉」の原則を叩きこまれていたようだ。
さて、「玉」の則を超えたのは、2.26事件と、もう一つある。終戦の御前会議である。ポツダム宣言の受諾を昭和天皇自らが決めたのである。
私は、天皇に戦争責任がるか否かを論じるような力量はない。ただ、これまで読んだ大量の本を基準にすると、大日本帝国憲法の天皇主権は、多分に概念的で、実質は「玉」であったと思っている。その意味では天皇機関説の美濃部達吉派かもしれない。(笑)…つづく。
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