2018年8月19日日曜日

国益と教育の話 雑感

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723?page=2
教育というのは、国益にとって何が重要かという問いかけの答えでもあると私は感じている。時代によって、国益は変化する。以前、東京で行われた国際理解教育学会で、東大の教育学の権威といわれる教授の講演を聴いた。この時、「ハト・マメ・マス」という語で始まる日本最初の国定教科書は、国民皆兵のための東北弁の発音矯正のためだと聞いた。衝撃であった。戦後の日本の国益は、まずは一億相懺悔で「平和主義」の注入であったと思う。次に「人権」。この最初の世代が私たちである。そして世界一の公害大国故の「環境」…。日本の教育は、勤勉性を旨としながら、こういったアドミッション・ポリシーをもっていたように思う。

現在の韓国の感情にまかせた政治状況も、反日教育によるという意見がある。私も同感だ。学校教育において、やわらかい頭にすり込まれた国益を貴重とした原理・原則的な意識は、そう簡単にくつがえせない。中国の現指導部もまた、幼年期に国益的教育を受けている。そういう視点からの記事を読んで納得した。「イギリスを追い越し、アメリカに追いつく」(実際は追い越されたのは日本だが…。)という当時のスローガンは、習近平の一帯一路政策に繋がるらしい。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723

マレーシアでの国益は、まずは多民族の共生だったと思われる。マレーシア語を国語として、さらに公用語としての英語は、学校教育で重視されている。
民族の言語たる中国語・タミル語も一般の学校では教えないが、私立や家庭で並立している。マレー系は、ムスリムとしてアラビア語も学ぶ。つまり、マレーシアの学生は、国語としてのマレーシア語、英語は十分読み書きできる。民族ごとに、アラビア語、中国語、タミル語も話すわけで、学生によって、得意不得意はあるけれど3ヶ国語が一応堪能であるわけだ。そのかわりと言ってはなんだが、言語の時間が多い分、他の教科に関しては幾分弱くなっている。PBTで、社会を教えて2年半。初めて聞いたという話が多い。歴史などは、(私立の中華系卒業者以外は)マレーシアの歴史に限定されており、ヨーロッパ史や現代史は全く学んだ経験がない。私は、そういうデメリットがあっても多民族国家マレーシアが存立するために、マレー語・英語を学ぶ意義は大きいと思う。もちろん、これからも改革は必要だろうが…。

昨日、S君と話していて、卒業論文は「日本の英語教育の問題点」について書くと聞いた。面白い論題だが、難しい問題だ。言語をツールとして見るのか、文化として見るのか?マレーシア在住の私は、後者だと思う。いずれにせよ、教育を語ることは、その時代の国家を語ることになるような気がする。

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