2026年4月19日日曜日

沢木『天空の旅人』断片8

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沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、8回目。無賃乗車と1人半ルピーで乗せてくれたトラックで、彼らはカルカッタに着く。しかし駅で警察に捕まった。彼らはラマ教の叩頭をし、「パポー、ブダガヤ!」(旦那さん、ブダガヤに行くのです)と叫び、ロブサンが大事に持っていた仏画を出し隊長風の男に、うやうやしく差し出し手を合わせた。彼らの思いが伝わったらしいのを見て、全員で御詠歌を歌った。隊長風の男は、目を閉じて聞き入っていたが、一節が終わると、「裏口から出してやれ。」と言ってもらえた。

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カルカッタのある安食堂では、西川がチャンドラ・ボース(WWⅡで日本軍の支援を受けインド独立を目指した英雄:画像参照)の肖像画に敬意を示したので食事面での大サービスと、荷物を預かってくれた。

ブッダガヤは、恐ろしく荒れ果てていた。菩提樹(釈迦が悟りを開いたので、菩提=悟りの樹:画像参照)の大木は、チベット寺のラマ僧によれば、一度は火事にあって焼失し、さらにイスラム教徒によって切り倒されたが、その度にまた芽を出し、大きく育ってきたのだという。菩提樹の密生している林で、西川以外の3人は実を拾い集めた。ラマ教徒にとってブッダガヤの菩提樹の実で作った数珠は、何者にも替えがたい貴重なものだったからだ。だが、いつ帰れるかも知れない故郷への記念品など必要がなかった。ネーランジャラー河のほとりで月光を浴びながら御詠歌を歌い続けた夜の喜び以上のものはなかった。

ラジキール(王舎城)はかつての仏教国・マガダ国の首都である。ここも荒れ果てていた。日本寺を西川が一人で訪ねるが、日本人僧侶は戦争が始まると引き上げてしまっていた。だが、仏間には香炉、蓮の花の造花、木魚、陶製の花瓶などあり、それを見られただけで満足しようと思った。

さらにサルナート(鹿野苑)に着く。中国寺には仏陀の一生を描いた日本人が描いた壁画があり、英語とヒンディー語と日本語で経緯が記されていた。5年ぶりに西川は日本語の文章を眼にした。

クシナガラでは、沙羅双樹の森があり涅槃像が横たわっていた。この周囲を真言を唱えながら回った。ルンビニは、ネパール側の国境地帯にある。ここも寂れていた。摩耶がイチジクの木の葉を握って釈迦を生んだとされる。記念品を求めない西川もこの木の川をお守りとして持ち帰ることにした。

ここから西川は、一人インド放浪の旅に出る。兄弟を失うような寂しさの中で…。

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