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結局、木村とともにヒマラヤを越え、インドのカリンボン(画像参照)の探索の依頼主だった新聞社に向かう。そこで、木村は東チベット行の報告書、西川は1mほどの大きな地図を作成した。しかし、インドとパキスタンが分離独立し、イギリスがインド大陸から手をひくことになった。木村は報酬を受け取ると石油の担ぎ屋になったが、西川はチベット全図の地図を描き、そのまま新聞社の仕事をすることになった。それはラダック人のタルチン氏の人柄による。西川の、好意を寄せてくれた人に深く感謝し全力で応じ、身を粉にして働くという心性であった。カリンボンを訪れた巡礼者により、西川の所在がイシ師に伝わり、帰ってきなさいという手紙が届くようになった。胸を熱くしたが、西川は自由にインド放浪に出ることにした。タルチン氏からも強い引き止めを受けたが、餞別に英蔵辞書をくれた。
カリンボンの郊外にある火葬場の近くにあるラマ寺院に、仙人のような修行僧がいた。火葬される死者の霊を弔い、御詠歌がうまく、西川は彼から御詠歌を習うことにしたのである。インドでの托鉢で、ただ恵んでもらうのではなくお返し(御詠歌)がしたかったのである。ここには以前から顔なじみの西川と同じ名(ロブサン)という修行僧がいて、彼は仏師と呼べるほど見事な仏像を土をこねて作っていた。
入門にあたって用意したのは、ダンバルと呼ばれるでんでん太鼓、ホンコという鈴、人の大腿骨で造られたガンドンという笛、毛皮の敷物、人の頭蓋骨で造られた骨椀などである。修行の第一の課題は白骨の散らばる洞窟での坐禅であった。無念無想にはなかなかなれるものではない。ロブサンにヒントを貰った西川は、石ころを使い、置く距離を伸ばしていく。やがて、空の任意の一点を見つめることで無心に近づくことができるようになる。
次いで、老修行僧はシーチェパ派(シャーマニズムの要素を含んだシチュー派?)の聖典について説いてくれた。この派の聖典をいくつも暗記していく。ここで、ようやく御詠歌の修行に入る。右手で、でんでん太鼓、左手で鈴をならし、口で御詠歌を歌う。ガンドンの笛を吹くとその不気味な音に天地の悪霊が引き寄せられる。御詠歌を歌うと彼らは恐れをなして退散し、仏と菩薩の光に照らされるという構図である。西川は、三か月の苦行で、自在に御詠歌を歌えるようになった。
修業を終えた西川は、ブッダガヤ(釈迦が悟りを開いた地)、クシナガラ(釈迦入滅の地)、ルンビニ(釈迦生誕の地)の三大聖地を巡礼することに決めた。仏師ロブサンと後2名が西川に同行することになった。



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