https://www.business2community.com/government-politics donald-trump-baby-norwegian-cartoon-not-banned-twitter-01751008 |
デトロイトで、ある高校を視察したとき、校門で銃を持ったガードマンを見聞し、金属探知機をくぐる経験もした。この現実を肯定したとしても、教師に銃を持たせるということは、全く意味が異なる。教育を行う場所の神聖さを、すなわち教育という崇高な行為そのものを冒涜するものだ。
私は、アメリカに於ける銃の問題について、そう簡単な問題でないことは理解しているつもりだ。アメリカという移民国家は、そもそも王や貴族が最初から存在していない。ヨーロッパではギリシア・ローマの昔から、貴族や市民と呼ばれ生産に従事しない「自由な個人」と生産だけに従事する「不自由な共同体」の二重構造の社会であった。自由な個人である市民は、軍事に参加する権利があった。古代ならば重装歩兵として命をはって国家を守った。これは義務ではなく、権利である。武器を持つのは昔から権利であった。アメリカ人は、建国前から黒人奴隷を例外として、白人は「自由な個人」として存在し得た。だから、フレンチ=インディアン戦争にも参加し、独立革命でも英米戦争でも、内戦(南北戦争)でも、米西戦争でも武器を取り、自らの自由のために戦うことを権利としてきた。ロックの抵抗権の思想の影響も、こういう社会的な背景を考慮すべきだと思う。
だから、フランス人が政教分離を是とするように、アフリカ人が「情の経済」を是として「呪術」を容認するように、アメリカ人は「銃を保持すること」を是とし容認するのである。これはもう文化的な問題だ。今回の事件のように、メリットよりデメリットの方が大きいのは明白だが、それを越えた問題であると私は考えている。
とはいえ、この最低な12点は、そういうアメリカの文化的背景も語らず(知らない可能性が高い)、教育現場に銃を持ち込むことを主張した。なんと短絡的な発想であろう。アメリカ国民はこれを異常だとは思わないのか?アメリカの知性を心底疑う。
http://www.afpbb.com/articles/-/3163500?cx_position=12
0 件のコメント:
コメントを投稿