毎日新聞のオピニオン欄・地球INGの特集で、ナミビアの話が載っていた。ナミビアは、ドイツの植民地であったが、この地でホロコーストの源流と思われるような「絶滅命令」が1904年に出されている。その対象は、人種差別政策を理論的に支えた優生学の研究者でその祖と呼ばれる英国のフランシス・ゴルトンによって、リベラルな姿勢で援助しても白人と同じにはならず、人道主義で彼らを向上させることはできないと認定された黒人のヘレロ。先住民の血をひくナマの人々であった。彼らは植民地支配に蜂起し,ドイツ軍と衝突。戦闘のみならず多くの住民が飢えや渇きで倒れ24000~10万人のヘレロ、1万人のナマが死亡した。国連報告は20世紀最初のジェノサイドと認めているが、あまり知られていない。ゴルドンの調査が、この悲劇に関わったことは間違いない。
その4年後、ナチの優生学研究所の所長を務めることになるフィッシャーが、南アのボーア人と先住民コイコイの混血であるバスターと呼ばれる集団を調査した。フィッシャーは先住民が白人より劣っているとの認識を基に、白人と先住民の混血が精神的、文化的な衰退につながるとの結論(ナイジェリア人歴史家・デビッド・オルソガ氏の著書/カイザーのホロコーストにある。:本日の画像参照)に達した。この理論は、ニュルンベルグ法に影響を与えた可能性がある。南アのステレンボッシュ大学のユダヤ系人類学者・スティーブン・ロビンズ教授は、「植民地で孵化した人種差別科学が欧州に戻りホロコーストという悲惨な結果を招いた。」と分析している。バスターは、ドイツ植民地政府によって自治を認められた。WWⅡ後支配した南ア政府も同様だったが、ナミビア独立後自治権を失い、土地は政府に接取されてしまう。アパルトヘイトを進めた南アから一定の自治を与えられていたことが圧政への協力者と思われたようである。
ヘレロ・ジェノサイド財団のエスター・ムインジャング女史は、強制収容所やレイプ、殺害などナミビアで用いられた手口はナチと同じだとインタヴューで指摘している。
…アフリカとホロコーストのつながりを示す有意義な記事だった。服部正法氏の取材に感謝したい。そのきっかけとなった「石の手紙」(前述のスティーブン・ロビンズ教授の著作/未訳)が、いつか和訳されることを願うものである。
…ところで今、私は多文化共生の地に向かう準備をしている。
2016年3月15日火曜日
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