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と、いうわけで2日間ブログのエントリーを休ませてもらった。昨日・今日は自教科の採点の日であったからだ。集中力と体力勝負なのである。なにより、ミスが許されないからだ。
11日の午後、教頭先生の放送で、採点業務中の我々は、3.11の犠牲者に黙祷を捧げた。5年前を知っている先生方は、「あの日も採点中だったねえ。なかなかひどい揺れだった。」などどと呟いておられたりする。TVや新聞でも、5年たった今年に合わせて様々な企画で報道されている。やはり福島の原発による被害が一番悲惨で、最も復興が遅れていることが明らかになっている。被災の悲しみに大小などないが、福島のそれは、岩手や宮城と一味違う悲惨さがあるように感じるのは私だけではあるまい。
先日エントリーした佐藤優と中村うさぎの対談集「聖書を読む」で、ヨハネの黙示録の第8章「天使のラッパと災い」の中(10節から11節)に『第三の天使がラッパを吹いた。すると松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は”苦よもぎ”といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。』とある。この”苦よもぎ”は、ロシア語の聖書では、「ポルィヌィ」という言葉をあてているのだけれど、「チェルノブイリ」も苦よもぎを意味する。で、チェルノブイリの事故の時、ロシア人なら誰もが、ヨハネの黙示録だと連想したのだという。この後、黙示録では鷲が「不幸だ、不幸だ、不幸だ地上に住む者たち。」と言いながら空高く飛ぶのだが、この黙示録的予言のようにソ連が崩壊していったと、佐藤優は言う。もちろん、ゴルバチョフの政策や国内経済の疲弊などが崩壊の原因としては大きいが、この原発事故で空気が一変したことは否定できないと。
いくら権力が隠そうとしても、チェルノブイリ原発事故の心的影響は、かなり大きかったわけだ。福島の事故は、そういうヨハネの黙示録のような予言などとは関わりがないが、日本人に与えた心的影響は、同じかそれ以上だと思われる。先日の滋賀地裁の高浜原発の運転差し止め仮処分決定は、実は、日本人全体にそういう心的な部分での不安がすこぶる大きいことを示していると私は思う。
私は原発に関しては、中間的な位置にいると思っているのだが、原子力規制庁や内閣府の原子力委員会の偉いさんなどのコメントを聞いていると、どうしても反原発に傾いていく。彼らを信じることがどうしてもできないわけだ。この辺は、ウォール街を信じないサンダース支持者や、既成の政治家を信じないトランプ支持者と共通するトコロでもある。
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