府立三島高校・社会科教室にて |
来日5年目のニャン・オスマン氏は、元ダカールの国際空港の警備員で、日本人の奥さんと結ばれ子供もかわいい女の子が2人いる人だった。今は焼き肉屋で勤めているとか。彼は、もちろんムスリムである。なかなかファッショナブルである。さすが「セネガルの着倒れ(日本で言えば京都かな)」を体現している。だいたい想定していた話の内容だった。彼が時折しゃべるフランス語に西アフリカの臭いを感じた次第。
もう一人の講師は石川梨絵さんという方だった。この方の話、かなりよかった。セネガルに個人的にドラムやダンスを習うため村に滞在する格安のスタディツアーが、アフリカとの出会いだという。その時アフリカに惚れてしまったらしい。(わかる)本業は織物だそうで、その後2年間日本にいて、JOCVに合格、コートジボアールで、2年間織物を美術系の大学で教えることになったのだという。その後さらに連絡員としてセネガルに移ったらしい。彼女は、セネガルの農村を見事に描いた「バオバブの記憶」という映画のダイジェスト版も見せてくれた。なかなかいいのである。レクチャーもうまい。私は大いに感心してしまった。今まで何度も元JOCVの赴任国紹介を聞いた経験があるが、彼女は指折りのうまさであった。休憩時間に、きっちりと名刺交換しておいた。
彼女の話の中で、最も印象に残った話を書き残しておきたい。それは彼女がJOCV連絡員としてセネガルに赴任する直前に事故死した「セネガル人とはいつもケンカですわ。」と笑っていた大阪の農業関係のJOCVの話である。
彼は、セネガルでも離農したがる若者が多いことを嘆き、「農業はおもろいんや。」と巨大カボチャを作ったり、大好きなヒマワリを植えて村人と鑑賞したり、若者を農業に引きつけようと必死で頑張っていたらしい。彼は宿舎の壁に、『語り継がれることではなく、引き継がれることをしろ』と書いた紙を貼り付け、常に自問自答していたようだ。任期を1年延ばし、”引き継がれる”仕事をしていたのだが、バイクで移動中にクルマに追突され急逝したという。セネガルのJOCVでは伝説の人らしい。
『語り継がれることではなく、引き継がれることをしろ』…か。彼の真摯な、まことに真摯なJOCVとしての「志」に私は泣ける。セネガルの赤い土には、彼の「志」がきっと染みこんでいるに違いない。同じアフリカを愛する人間として、彼の冥福を心から祈りたい。
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