2013年11月23日土曜日

修学旅行 マネジメントの要諦

白老アイヌコタンにて
今回のエントリーは、教育論を書きたい。修学旅行におけるマネジメントの要諦とは何かについてである。今回の修学旅行は8クラスをまとめて、3つの宿泊先を移動するという「最近ではめずらしい日程」(旅行社の添乗員さんの話)だったらしい。私としては、1年時の担任団の希望であった「旭山動物園」「温泉」「小樽」それに「アクティビティ」「3泊4日」を組み合わせたにすぎないのだが…。

本校の生徒は、運動部員が多く、素直な生徒が極めて多い。ぐちゃぐちゃ文句を言わない。指示をするとかならず「ハイ」という返事が返ってくる。同時に、ノリが良すぎるところもある。(笑)先行きを考えず、ノリでいってしまう場合もある。今回は、8クラス、300人以上の集団行動だから、全体で指示する時、必ず顔と身体をしっかりと向けて、集中して聞くということを徹底した。学年集会だけでなく、普通科5クラスの授業などでも徹底して準備してきた。「パブロフの犬」という条件反射の比喩があるが、まさに誰かが前に立って話すとき、集中しなければならないという訓練を、まず徹底してほどこしてきたわけだ。

だからこそ、観光地や食事、バスの出発時間などの集合は、ほぼ完ぺきに守られたのである。小樽では、「3分の2の学校が、出発時間に集まれない。」(旅行社の添乗員さんの話)らしいが、本校では全く問題がなかった。

生徒には、「自由は勝ち取るもの」である、「責任ある行動を取れる者こそが自由を得る」ことができると、何度も訴えてきた。だから、学年会で携帯電話の自由使用を認めてもらったのだし、観光地での「班行動」(普通はクラス内で班を決めて一緒に行動する。)を設定しなかった。おかげで、何組ものクラスを超えたカップルが小樽のデートを楽しんでいた。(笑)集団行動に徹する場面と自由に楽しむ場面のメリハリをつけることを、この修学旅行の主眼としていたのだ。まさにこの一点が、修学旅行のマネジメントの要諦であると思う。

今回の修学旅行のマネジメントが成功したのは、付き添い教員団、旅行社、バスのガイドさんなどの協力を得て、生徒諸君がそれぞれ精進した結果だったと思うのだ。

2013年11月22日金曜日

修学旅行スーパー晴れ男の面目

漁船乗船体験
今回の北海道修学旅行は、天候に恵まれたとは言えなかった。千歳空港に着いた時点では曇天。しかし、札幌方面に虹がかかっていた。生徒は大興奮。さすがに果てしない大空(曇天だけど…)にかかる虹は大阪では見れない素晴らしいものだった。しかし道央道を旭川に向かう頃には、雨が降ってきた。宿に着く頃にはやみ、なんとか傘を使う事はなかったという感じである。北海道は広大なので、天気もコロコロ変わる。

実は私はスーパー晴れ男を自認している。旅に出て、傘を使った経験は極めて少ない。昔、紋別に行った時ぐらい。海外では皆無である。バスなど交通機関に乗っているときは雨でも、降りるとやむ。

しかし、ついに旭山動物園は雨に降られてしまった。前半戦最大のヤマ場で雨はつらい。クラス写真も戦争状態。傘を閉じさせ、短時間で撮る。本校付の写真屋(卒業アルバムを作ってもらうことになっている。)のYさんの激闘に私も協力して、なんとか8クラスを捌ききった。「こんな雨の中、クラス写真を撮ったのは初めてです。」とYさん。でも、生徒の顔は、Yさんのうまいリードで盛り上がっていた。(笑)降りやまぬ雨の中、白老へ。しかもこの時期の北海道は日没が早い。なんとか、ぎりぎり明るいうちに白老のアイヌの観光村、ポロトコタンへ到着した。雨は上がっていた。

昭和新山に向かう道で、またもや曇天に虹。きれいに半円を描いていた。またまた生徒は大興奮である。私も、これほど見事な半円は初めて見た。さすが北海道である。昭和新山では青空も見えた。が、さらに曇天は続く。積丹半島の寿都(すっつ)漁港も曇天ときどき晴れ。気温は6℃ほど。だが風は強い。幸い、4組に分かれての漁船の乗船体験も無事に終えた。現地の方は、この時期、漁船を出すのは、おそらく無理だろうと思っていたらしい。きわめて幸運だと言われたのだった。漁港を出発した途端、アラレが凄い勢いで降ってきた。いやあ、スーパー晴れ男の面目躍如である。

最終日、私は羊蹄山の雄姿を青空の下で生徒全員に見せたかったのだが、生憎の雪。ホテルの朝、周囲は雪景色に変わっていた。これはこれでいいか。生徒は朝食と出発準備の合間を見て、雪合戦。(笑)その後の小樽も、小雨が降ったりしたが、なんとか傘なしで過ごせた次第。

そして千歳に向かう道で、三度目の虹。結局、晴天の連続と言うわけにはいかなかったけど、旭山動物園以外は傘を使う事はなかったのだった。教員の打ち合わせ会の結論では、今回の付き添い教員の中に、スーパー雨男のT先生がいたので、こうなったらしい。(笑)

北海道修学旅行より無事帰阪

修学旅行メインイベントのラストシーン
3泊4日の修学旅行より、昨夜帰阪しました。生徒諸君、担任団の先生方、付き添いの先生方方、旅行社の添乗員の皆さん、Jバスの運転手・ガイドの皆さん、宿泊先の皆さんを始め、多くの皆さんのご協力で、事故もなく無事帰阪できました。感謝申し上げたいと思います。

今日から3日間、身体を休めながら修学旅行で感じたことなどをつらつら書こうと思います。まずは、私の極めて個人的な体調のことから。糖尿病で入院寸前にまでところまでいったのですが、なんとか使命を果たせました。妻から、「炭水化物をとるな、炭水化物を少なくせい。」といやというほど言われていたので、およそ、次のような悲惨な食事状況でした。(笑)

一日目 朝:空港で大好物のピロシキを見つけたので1個だけ購入。ANAの機内サービスのコーヒーと共に。昼:千歳のドライブインで、生徒と同じ「ラーメン付団体向け昼食」。一人用のナベに入ったラーメンはいただきましたが、ご飯は食べず。夜:宿舎での御膳。フライものはクラスの男子生徒へ。ご飯もイクラを乗せて半分だけ食した次第。ただし、札幌のテレビ塔の雪印パーラーでソフトクリームだけは我慢できず。私は、コーヒーなしでは生きていけないのですが、缶コーヒーは以後ブラック無糖。(この修学旅行で、飲めるようになり、これが習慣づきました。)

二日目 朝:バイキング。野菜とヨーグルトを主体に、卵焼きとベーコン。炭水化物は取らず。昼:旭山動物園で、クリーム入りメロンパン1個。(これを食べるために朝、炭水化物を抜いたのでした。)正規の昼食は、砂川ハイウェイ・オアシス。「牛肉と海鮮の陶板焼き」。当然、ご飯は食べず。夕張メロンのソフトは我慢、我慢と思っていたら、うちのクラスの女子生徒が、最上部を少しだけた分けてくれました。(自前の小さなプラスチックのスプーンでいただきました。持つべきものは良い教え子です。笑)夜:宿舎での御膳。タラバ蟹がでました。(生徒は大興奮していました。笑)ここでも陶板焼きの肉と野菜は食べましたが、フライものは男子生徒行き。ご飯ぬき。

三日目 朝:宿舎の御膳。ここでもご飯ぬき。昼:漁業体験での食事。海鮮のBBQで、まるごとのイカやホタテと、ホッケは、さすがに新鮮で美味。漁業組合の作業場で、しかも紙皿に乗せられていたのですが最高の味。しかも甘エビ入りの味噌汁は、今回最高の美味。これだけは私もおかわりしました。プラスチック容器に入った地元のお母さんがにぎった大きなおにぎり2個。さすがにこれは残さず、おいしくいただきました。夜:宿舎のバイキング。野菜サラダ主体。スペアリブ3個としゅうまい1個。炭水化物は茶碗にしたら半分くらいのオムライス。グレープフルーツのゼリー。ケーキは無茶苦茶美味そうでしたが我慢。

四日目 朝:宿舎のバイキング。やはり野菜主体。炭水化物なし。昼:小樽での自由昼食。生徒たちは、海鮮丼(ポセイ丼などという名の店があったりしました。笑)やソフトクリームの三段重ねなどを楽しんでいましたが、結局、喫茶店でハム入りのパン1個とカフエオレ1杯。あまりに悲しい小樽でした。(笑)

と、いうわけで北海道に行ったのに、体重は77kgほどに減りました。8クラス全体のコーディネーターという使命を全うできたのは、案外この節制によるものだったのかもしれません。

2013年11月17日日曜日

毎日 南部アフリカフォーラム

今朝の毎日新聞朝刊に、10月29日に開催された「南部アフリカフォーラム2013」の特集記事が載っていた。毎日新聞の主催で南部アフリカ開発共同体(SADC)加盟15カ国のうち日本に駐在する11カ国の大使らが参加したという。ちなみに、SADCの加盟国は、タンザニア、マラウイ、セーシェル、モザンビーク、マダガスカル、モーリシャス、ジンバブエ、スワジランド、レソト、南ア、ザンビア、ボツワナ、ナミビア、アンゴラ、コンゴ民主共和国である。(フォーラムに不参加だったのは、セーシェル・モーリシャス・スワジランド・ナミビアである。)

南部アフリカ地域は、アフリカの中でも、政治的に大きな問題があるジンバブエやコンゴ民主共和国も含まれるが、比較的平穏な地域であるといってよい。各国とも、その辺をもっと日本企業に理解してもらい、第一次産品に付加価値をつける工業力を持てるよう助力して欲しい、ODAもだが、民間投資にも大きな期待を寄せていると主張しているように読めた。SADCは、アフリカにいくつかある地域統合を進めている地域共同体構想の中でもうまくいっている地域でもある。英語圏の国が多いことも日本の進出にとっては都合がいい。

ところで、大使たちの発言の中で、私が最も印象に残ったのはザンビア大使の発言だ。南部アフリカに日本からの直行便を飛ばしてもらいたいという要請である。観光開発に力を入れているザンビア大使らしい。南部アフリカのハブ空港といえば、やはり南ア・ヨハネスブルグであろう。私がヨハネスブルグに飛んだ際は、ユナテッドのマイレージによる無料便だった関係でシンガガポール航空を使ってバンコク経由シンガポール経由ヨハネスブルグ着というコースだった。(復路は、フランクフルト経由。ほとんど東半球一周である。笑)正距方位図法で見ると、南アを目指すとすれば、シンガポール経由は最短距離コースに近い。距離的にはヨーロッパ諸国とあまりかわらず、ニューヨークよりははるかに近い。ということは、B777やB787なら直行便は十分可能な話である。

以前エントリーしたことがあるが、韓国は大韓航空をナイロビに直行便を飛ばしている。ある意味、効率を超えた国と国、あるいは地域のつながりが、ナショナルフラッグ(今、JALがそうなのかどうかわからないが…)の存在価値にもなりうることは事実だ。ちなみに南ア航空は、ANAと同じスターアライアンス・グループ。現在は香港経由でもANAと連絡している。(JALは、キャセイ航空と香港で、またエミレーツ航空とドバイ経由で、あるいはヨーロッパ経由となるようだ。)直行便を飛ばすということになればANAの方が有利かな。

ともかくも、このようなフォーラムがどんどん行われていくことは、アフリカの開発にとって有意だと私も思う次第。

2013年11月16日土曜日

修学旅行に向けて最後の仕事

修学旅行教員用マニュアル
修学旅行も月曜日に出発・本番間近である。付き添い教員打ち合わせ(にまつわるマニュアルの完成)、生徒用しおりの完成・製本作業、結団式(にまつわるパワーポイント制作・説明と式の運営)という3つのヤマを超えて、一息したのだが、直前になって、3人の先生方が体調不良や御不幸があって、行けなくなってしまった。実はこの数日、その対応に追われていたのだった。

昨日、その代行の先生方が決まり、一気に対応を迫られた。もちろん、こういう人事は、きちんと決定され、組織的に発表されるまでは、公言すべきものではない。人心が乱れることこそ最も忌むべきことである。その辺の段階もきちんと踏みながら、昨日の昼休みには担任団、放課後には生徒に発表できるよう手立てした。

管理職の先生と役割分担を確定したうえで、新たな付き添い教員の先生方に、マニュアルを用意し、レクチャーをする必要があった。これまでの長い経過を御存じない先生方に一からレクチャーするのだが、そんなに時間もかけられないし、かといってあまりに簡単にできるおのでもない。正直疲れた身体と脳みそに鞭打って対処したのだった。もちろん、旅行社、事務所との連絡もある。航空券の名前差し替えや出張書類などのことともある。

ところで、最も私が憂慮したのは、担任団のO先生の件である。御母堂の逝去で、悩みに悩まれた挙句、不参加を決断されたのだった。その思いはすでに母を失っている私には痛いほどわかる。幸い、私の母の他界時は前任校で担任をしていなかったし、学年末考査の最終日のことだった。あまり学校に迷惑をかけることもなくすんだ。だが、私がO先生の立場だったらと思うと、その無念を同苦できる。で、今日通勤途上、私がO先生のためになにか出来ることはないかとずっと考えていた。昨日、クラス全員の名簿や写真も渡したり、できるかぎりのことはしたのだが、なにか足りない。

その結論は、やはり担任代行していただくことになったS先生に、生徒が礼儀を尽くして、出発前にクラス一同で「4日間よろしくお願いします。」と挨拶させることだった。空港での出発時に、なにかあやふやなカタチでスタートするのはよくないと考えたのだ。朝一番に、修学旅行の仕事をしてくれているI先生やK先生と相談した。私は生徒全員にS先生の元へ行って挨拶させるべきだと考えていたのだが、S先生に副担任と朝のSHRに出向いてもらって、一言述べてもらい、挨拶を受けるというカタチにすることになった。クラス代表の生徒に十分言いふくめ、彼をささえる生徒たちにもその旨を伝えた。S先生もSHRに出向くことを快諾していただき、全てのお膳立ては終了した。

若い副担任のT先生(彼も付き添いメンバーだ。)が、SHR後「凄く感動しました。」と言ってくれたので、うまくいったのだろう。担任が無念のリタイアをしたからこそ、彼らには自立して楽しんで欲しい。マイナスをプラスに換えて欲しい。中学生の体験入学で多忙な日だが、若いT先生には、終わりのSHR時に、その旨を自分の言葉で伝えてもらうようにお願いした。彼自身にも大きな経験になったと思うのだ。

2013年11月15日金曜日

ガンビアの台湾断交

ガンビアが、今日、台湾と断交したという報道が流れた。調べてみると、これで、アフリカで台湾と国交を結んでいる国は、サントメ・プリンシペ、ブルキナファソ、スワジランドの3カ国になった。

ガンビアは、セネガルに囲まれたガンビア川流域の旧イギリス領の小国である。報道によると断交の理由もはっきりしない。ある日突然…らしい。おそらくは大陸の工作によるものではないかと推測できる。この以前にもマラウイ・セネガルなどが、台湾と断交している。うーん、台湾のアフリカ外交も、じり貧状態だ。中国の覇権主義的な外交には、私もこのところ、かなりうんざりしているので、どうしても判官贔屓になってしまう。

サントメ・プリンシペは元ポルトガル領の島嶼国だ。ブルキナも、西アフリカでは内陸国だし、治安の良さ以外に地勢的な力は弱い。スワジランドにいたっては、南アの悪行(アパルトヘイト時に南ア企業の隠れみのとなって工業化を進めた過去がある。)を継ぐ最悪の王国である。(ここの王室はきわめて贅沢三昧を謳歌していて、その経済格差のえげつなさが有名。)台湾の味方というには余りに無勢である。

それほど中国のアフリカへの影響力が大きい、ということなのだろう。思わず、ふー、とため息が出るところだ。全く個人的に、サントメ・プリンシペとブルキナには頑張ってほしいと、思ってしまう。

2013年11月14日木曜日

フランス法相の危機感

Christiane Taubira 仏法相
今日の日経の春秋にこんな話が載っていた。フランスの法相は、海外州のひとつ南米仏領ギアナの出身で、要するにアフリカ系フランス人なのだそうだ。その法相がある地方訪問した際、子供たちに「猿だ。バナナをやれ。」といった差別発言を受けたのだと言う。人種差別は悪である、という当然も守られるべきルールが破られていくという、フランスの危機感を強くしたというような内容だったと思う。

日本でも、レストランなどで素材などを偽る事件が毎日のように拡大、報道されている。あたりまえの社会のルールが破られている。私は、こういう高級レストランに行くようなことは極めて少ないので、大した影響は受けていなのだが、こういうあたりまえのルールがやぶられていたことに、フランスの法相同様、日本という国の危機を感じる。

生き残るためにルールをやぶらざるを得ない競争。しかも誰が見ても詐欺まがいの行為を平然と管理ミスといった詭弁で押しとうそうとする経営者の記者会見を見ると、ぞっとする。これまで日本社会が築いてきた信頼を大きく破壊していることの自覚はないらしい。いくらオモテナシなどという美麗美句でパフォーマンスしようと、この不信感はぬぐえない。日本はどうなっているのか?

経済効率より、普遍的な社会のルールがあるはずだ。日本は、このところ、随分とおかしくなっていると感じているのは私だけだろうか。