2013年11月29日金曜日

沢木耕太郎氏の受賞を祝す

毎日新聞の朝刊に、沢木耕太郎氏が『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞したことが報道されていた。何度かこのブログにも書いたけれど、私は沢木耕太郎氏の大ファンである。スペイン内乱で撮られた一枚の写真が、キャパという写真家を一躍有名にしたのだが、この写真について、極めて精緻に、この写真が本当に彼の撮ったものかを検証していくノンフィクションが、今回の受賞作『キャパの十字架』である。

実は、私はこの本は読んでいない。だが、NHKで特集を組んでいて、本年2月4日のブログで詳しくエントリーしている。素晴らしい内容だった。記事では、かの柳田邦男氏が「航空機事故の事故調査のように徹底的に分析」と評している。思わず「マッハの恐怖」(柳田邦男著・航空機事故を扱ったノンフィクション)を思い起こして、すこし笑ってしまったが、まさにたった1枚の写真に、そういう感じの迫り方をしていることは確かだ。

ところで、新聞に載っていた沢木氏の写真を見て、歳をとられたなあとちょっと寂しく感じた。私も同様に歳をとってしまったのだから、当たり前か。これからも沢木耕太郎氏のますますの活躍を期待したい。

2013年11月28日木曜日

南アで誕生したツワネ原則

久しぶりにモーニングで日経を読んでいたら、春秋に『ツワネ原則』というコトバが載っていた。ツワネというのは、南アの行政的首都であるプレトリアが変更されるかもしれない地名である。(さすが、この話は知っていた。)このツワネにおいて、安全保障にかかわる国家機密と、知る権利や表現の自由といった基本的人権とのバランスをどうとつかという難題に世界の研究機関やNGOが議論した成果が『ツワネ原則』であるらしい。民間レベルの取り組みだが、世界の知恵の結晶ともいえる50の原則なのだという。

すこし調べてみた。以下にアクセスすると、全文(英文と日本語訳)が読める。

文学部出身の私にとっては、クラクラする様な文書であった。春秋では特に31番から35番の独立監視機関についてのあり方を巡って、今回の国会審議を批判している。2年以上をかけて念密な審議を経たという、この『ツワネ原則』、凄い文書だなと思わずにはおれない。国家機密と知る権利・表現の自由のバランスと、いった重要な問題は、今回のようなわずかな国会審議でクリアできるような問題ではないとも思ってしまう。『ツワネ原則』の内容については、とても素人の私がコメントできるような内容ではない。興味のある方は是非、上記にアクセスしていただきたいと思う。ちなみに日経の春秋WEB版は以下のページである。

2013年11月27日水曜日

新聞VS南ア政府

南ア ズマ大統領
報道の自由を巡り、南アでも政府とメディアが激しく対立している。今日の毎日新聞朝刊の記事である。今年4月に南アでも「国家機密」を暴露した者に最長25年を科す情報保護法案が今年4月に国会を通過し、ズマ大統領が署名するか否かに注目が集まっている。この中で大統領私邸の写真報道は「法律違反」と発言したことに反発した複数の有力紙が一斉にこの写真を1面に報道したのだ。この私邸、安全面拡充の名目で多額の公金が使われたとの疑惑があり、南アメディアが追っていたといういわくつきであるそうな。国家安全保障相が「違法だ。」と発言したところ、有力紙タイムズは「じゃあ我々を逮捕せよ。」との大見出しを載せ、社説で「我々は写真掲載を続ける。止めることは民主主義の監視役という責務への背信行為だ。」と明言。政府は、「掲載自体は問題ないが、私邸の安全面の特徴を報ずるのは大統領のリスクとなる。」と、少しトーンダウンしているという。

開発経済学から見れば、メディアは、まさに複数政党制とともに、館力を監視する民主主義の重要な装置である。アフリカの諸国を民主主義という視点で見るとき、その報道の自由さが、ひとつの尺度とされている。

今回の南アの話は、決して他人ごとではない。日本の秘密保護法案もどうも不可解だ。妙に急いでいるのは何故なのか?何者かが蔭で動かしているような危うさを私は感じる。ネット社会におけるウィキリークスや元CIAの事件に関係しているのような感覚もある。誰しもが、ネットを通じてマスな情報発信力を持つ時代になったことを国家権力は危惧しているのではないだろうか。私の、この個人的なブログも、1日150~200人くらいの方の目にふれている。微々たる発信力だが、これまでには全く無かったものだ。国家によるピラミッド型の統制のコードが崩れ、リゾーム化しているのはたしかだと思う。しかし、それが法律で再構築されることが是だと言われると、なにか時代に逆行しているような気がする。その逆行の行き先が偏頗なナショナリズムであるとすると、恐ろしいことだと私は思っている。地球市民を育てたい私の想いとは全く対蹠的なベクトルだからだ。

今日が日本のカタストロフィー・ポイントとならないことを、まずは祈りたい。自由は責任ある行動を取れる個人が主体となって自ら勝ち取るものである。必要なら行動しなければならない、と思うのだった。

2013年11月26日火曜日

本校柔道部OB 溝内さんと対面

北海道では見れなったが、本校の桜は紅葉
昨日、念願かなって2011年12月3日付ブログにエントリーした本校柔道部OBの溝内さんとお会いすることが出来た。今回の帰国に合わせて2年生に是非とも講演していただきたかったのだが、ご多忙だったことと、修学旅行の日程が入ってかなわずだった。とはいえ、時間を割いて母校を訪問していただき、溝内さんの恩師・W先生の御好意もあって私にも会っていただけたというわけだ。

現在はタンザニアでJICAの調整員をしながら、研究を進めておられると言う。調整員という仕事は、JICA事務所とJOCVをつなぐ重要な仕事で、私もケニアやブルキナで何人かお会いした。そのかたわら、京大の大学院生として農村と都市の関わりについて博士論文を書こうとされている。グローバル化の波の中で、アフリカ特有の「情の経済」がだんだん薄れつつあるとのことだった。聞きたいことはいっぱいあったのだが、長く御引き留めするわけにもいかず、それでも30分ほどお話をさせていただいた。いやあ、嬉しかった。ついに念願かなったり、である。

なにより驚いたのは、現在ブルキナで調査中の荒熊さんとも飲み友達であるという事実を知ったことだった。アフリカ学会の交友関係はなかなか濃いらしい。もちろん京大の先生方や研究者の方々の話も伺った。私自身は、市井のアフリカ好きの高校教師にすぎないが、こういう交友関係(ダジャレではない。)の周辺に位置しているだけでも有為だと思う。

グローバル化がますます進展していくアフリカ。日本では伝えられない様々な貴重な情報も聞かせていただいた次第。来年夏にはまた帰国されるとのこと。是非とも生徒たちに溝内さんの生のアフリカの話を聞かせたいと思う。本校最強の国際理解教育だと思うのだ。

2013年11月25日月曜日

修学旅行余話 ホッケと近畿大会

昨日のエントリーで修学旅行の話は終わるつもりだったのだったが、少しだけ余話を。今朝、寿都の漁業組合から、漁業体験の際、生徒たちが開いたホッケの真空パックが送られてきた。放課後のSHRで配ったが、なかなか盛り上がったのだった。

左の画像は、書業組合の作業場で、一夜干しが開始されたところ。生徒たちがつくったホッケがくるくる回っているところである。

ところで、極めて本校の修学旅行らしい話を書いておきたい。今回の修学旅行で、柔道部の女子が一泊目の宿舎で夜と朝、練習をしていた。男子は試合を終えてから修学旅行に参加したのだが、女子はは帰阪後すぐ試合があり、しかも体重制限があって、好きなモノが食べられないという、厳しい修学旅行になっていたのだ。

ちょうど顧問のS先生も付き添いだったので、ロビーで共に練習。なかなか大変である。宿舎の方が、その姿に感激していただいたほど、打ち込みは早い。そんな努力が実って、近畿大会に出場することができたそうだ。よかった、よかった、というわけだ。

2013年11月24日日曜日

修学旅行 思い出にするなかれ

漁船乗船体験
本校の修学旅行の最大のヤマ場だった3日目について最後に述べておきたい。本校の修学旅行では、なにかしらのアクティビティが日程に入ることになっているらしい。今回は、酪農体験と漁業体験だった。
4か所に分かれて実施された酪農体験の方は私は行っていないのだが、付き添いの先生方に聞くと大満足の体験学習だったらしい。搾乳はもちろん、子牛に乳をあげたりする農場もあって生徒は大いに感激したと聞いた。昼食のジンギスカンも量が豊富でたいへん美味だったとか。

漁業体験の方は、一昨日の天候についてのエントリーでもふれたが、なんとか4回の漁船乗船体験も無事に行われた。この乗船体験、ガイドさんがなかなか楽しい方で、漁師さんらしく、飾り気のないコトバで生徒たちをグイグイ引っ張って行く。私が乗った時は、風が強く、しぶきが体中にかかったのだった。(それを見越してレインコートも着ている。)でも生徒にはそれが楽しく、おおはしゃぎだった。(笑)生きているホタテの殻剥き体験も、大阪では絶対体験できないものだったし、超新鮮な貝柱もヒモもすばらしく美味だった。ホッケを開く体験も、生徒たちは四苦八苦しながら楽しんでいた。一夜干しにして、それぞれ開いたモノを送付してくれることになっている。

寿都漁協の方々も、ホント素朴ですばらしい方々だった。こういう地元の方との触れ合いは修学旅行ならではだと思う。

さて、その夜は全体レクリェーションである。最後の宿舎は下見に行った我々が驚いたほどの豪華なホテルである。その食事会場が、レクの会場でもある。その会場を見た生徒たちも目を丸くしていた。ホントにこんなところでやっていいのかいな?という感じ。8F分くらいの吹き抜けになっている素晴らしい会場なのだ。

関西芸人の裾野 我がクラス代表の漫才
食事の後、いよいよレクが始まった。司会の漫才に始まり、各クラス対抗のゲーム、歌、ダンス。中でも俊逸だったのは、まずはダンス部の舞台である。全国大会に行くほどのキレッキレッのダンスに全員が盛り上がる。彼女たちは、この修学旅行中も自室でこそっと練習していたらしい。さらに「H1」(Hは本校の頭文字を意味している。M1をもじったのはさすがだ思う。)と銘打たれた漫才コンテストである。なんと7組も、このレクにエントリーしてきたらしい。担任以外の先生方の採点でチャンピオンが決定する仕組みだ。番号の札も生徒の自作。レクの準備は生徒自身の手で進められてきた。残念ながら、「H1」の方は時間がかなりオーバーしてしまい、帰校後、出来なかった3組の漫才は、LHRの時間を使って学年集会で改めてやることにしたのだった。前半戦に登場した4組の出来は、なかなかのもので、地元北海道の添乗員さんやホテルのスタッフも思わず吹き出しておられた。(笑)関西芸人の裾野は広い。

フィナーレ 修学旅行委員が前に並ぶ
最後は、男女の性別をひっくりかえした各クラス対抗のファッションショーと、「全力少年」の合唱である。全員が立ちあがってのフィナーレ。委員長のI君が、修学旅行委員の努力を称えた後、「素晴らしい思い出になった。」と叫ぶと全員が身体全体で答えた。

私は、フツーの修学旅行なら「思い出」でいい、と思うのだ。だが、彼らには来年の団活動で体育祭・文化祭のリーダーシップをとるという使命がある。時間が大幅に遅れてホテルのスタッフに多大な迷惑をかけてしまった。コーディネイターとしては、ずいぶん気を揉んだのも事実である。

この修学旅行での成功と失敗を「出発点」として大いに活かして欲しいと思うのだ。そう、人は石垣、人は城である。

2013年11月23日土曜日

修学旅行 カラオケとJR北海道

晴れ間の昭和新山
今回の修学旅行のバスは、「JR北海道バス」だった。実は、出発直前に、このバスにカラオケの設備がないことが判明して、ひと悶着あったのだ。今回の修学旅行は移動距離が長いので、カラオケは必需品であると私は考えていた。テーマ曲である「全力少年」の周知ということも念頭にあった。結局、旅行社が(後でわかったことだが、ジャパネット・タカタの一般に販売されているマイク型の)カラオケを全車に準備してくれた。これをモニターにつなぐ。全1000曲以上入っているので、バス内のレクとしては十分だった。

我がクラスでは、普段おとなしいY君が最初に『ヘイ・ジュード』を歌ってカラオケ大会開始。大盛り上がりであった。冊子になったインデックスを利用するだけではなく画面に映し出される曲目を追って、どんどん誰かが歌っていく。女子生徒はホント上手い。面白かったのは、O君という(軽)音楽部の生徒に知らない曲だろうと何だろうと歌わせるというシチュエーションだった。文句を言いながら彼はなんとなく歌うのだが、そのコメントが面白いので大ウケするのだ。初日は「やさいの歌」という童謡がとにかく凄かった。(笑)二日目は、ハングルの曲を誰かがリクエストして、それをO君が無理やり歌うのだが、なんとも可笑しい。同乗していた写真屋さんやガイドさんも腹をかかえて大笑いしていたのだった。私も、3回ほど歌った。北海道と言えば松山千春ではないか。「季節の中で」「大空と大地の中で」、そして札幌と大阪を結ぶ「中之島ブルース」である。(笑)生徒は知らないらしく、しかもあまりにも上手くてウケはもうひとつだった。(笑)とにかく旅行社の努力は十分報われたのだった。

JR北海道バスに乗り込む(ニセコ)
さて、JR北海道バスは、普通のバスより移動速度が遅いようだった。旅行社の想定をかなり下回るようで、行程に遅れが出てしまうのだ。その度に風呂や食事の時間変更が必要になる。どうも、このところのJR北海道の事故や不始末に関係しているらしい。ちょっとしたスピード違反などでも通報があったりするので、つい慎重な運行になっているのだという。親会社はJR北海道でもバスはバスで別だと思うのだが、それほど道民の怒りは強いのだろう。

では、JR北海道バスはダメだったのかというと、私の評価は反対だ。運転手さんもバスガイドさんも一生懸命に丁寧な仕事をしてくれた。なにより生徒たちを愛してくれていたと思う。コーディネーターとして、何度か他号車の運転手さんやガイドさんとも接したが、皆さん純朴で気持ちのいい方々であった。結局は人は石垣、人は城である。

私は今回の修学旅行がJR北海道バスでよかったと心から思っている。頑張れ、JR北海道バス。