2010年2月7日日曜日

今年もワンフェスに行くⅡ


 ワンフェス2日目。今日も現役やOGと会った。昨日会ったOGと同じ大学に通うOGは、ドイツに行ってきたそうだ。今度は、モントリオールに行くという。英語とフランス語両方やってきますとのこと。うーん、なかなか言えんセリフである。
 今日のメインは、エチオピアとタンザニアのワークショップ。同僚のU先生とともに参加した。良く見たらファシリテーターは、某協会のSさんであった。おそらく開発教育(国際理解教育を外務省はこう呼ぶ)では大阪No1のファシリテーターである。もともと府立の某進学高校の家庭科の先生だが、今は某私立大学の院に席をおいておられる。初めての教材だったらしく、時間が足りなかったが、さすがに面白かった。エチオピアのフォトランゲージで、乾燥地に立つ鉄塔は何かという問いかけがあった。私がニヤニヤ笑っていたのだろう。名前を呼ばれて当てられた。「携帯電話用のアンテナでしょう。」と正解。エチオピアの携帯電話市場は100%中国が抑えてしまったのは有名である。
 今年も散財した。昨日は国際理解教育の本を2300円で買っただけだが、今日は、スーダンの支援NGOブースで、なぜかティンガティンガを売っていた。教材にと購入(2000円)。小さな絵でもティンガティンガはそもそも高い。またカンボジアの地雷撤去のNGOのブースで、LLのTシャツを買った。(800円+募金100円) ユニセフのノートセット(600円)も買った。ハイチの地震への支援募金をやっていた。ユニセフなら、失敗国家の政府には渡るまい。200円ほど募金した。チャイを飲んだり、クスクスを食べたり…。私は毎年、ワンフェスに向けていくらかこづかいを用意しておく。もちろん現役やOGにちょこっと奢ったりもするのにも必要だ。長年の知恵でもある。
 今日も、トンガ、ニカラグアのJICA研修員さんと少し話した。私の「地球市民の記憶」はさらに82カ国になった。メデタシ。メデタシ。

2010年2月6日土曜日

今年もワンフェスに行くⅠ


 今年もワンワールドフェスティバル(ワンフェス)に行ってきた。大阪で唯一といっていい国際協力の機関やNGO・NPOのお祭りである。私は毎年見に行っている。今年は、私のESD(持続可能な開発のための教育)の一番弟子と言っていい某有名私立女子大の教え子が、コア・ボランティアとして運営に携わってくれている。彼女は昨年1日中模擬店の皿洗いを(2日間)やっていた。今日もメールで連絡が取れ、ちょっとだけ顔を見せてくれた。頑張っている姿に、ありがたく思う。彼女が教師になった時に、きっとこの経験が生きてくるはずだ。彼女が2年生の時初めて、ワンフェスの存在を教えた。受験の時期を除いて、以来ずっと関わってくれている。また彼女と同期の某国公立大学で国際関係を学ぶ教え子もサークルの友人と来てくれていた。チャイをみんなで飲みながら、いろいろ話した。サークルで、タイ南部のムスリムの多い町に行ったのだという。今度はニュージーランドに短期留学するらしい。楽しいひと時だった。
 さて、今日のメインは、現役の生徒が関わっている高校生国際ボランティア団体のWITHのミーティングである。大阪国際交流センター会議室3は、高校生の熱気が充満していた。この現役生は、例の仮想世界ゲームのW地域の政党主である。ちなみに大学では比較宗教学をやることが決まっている。日本は平和かというテーマで話し合いは始まった。「平和」という命題を最初に定義していなかったので、最初はちょっと迷走した。でもそれも高校生らしくていい。彼女は今日は記録係で発言しなかったが、後輩たちに発言の場を与えたのだろう。なかなかおもしろかった。高校生らしく、迷走しながら国際協力について、考え、動き、悩み、読みしながら、「なにか」をつかんで欲しいものだ。本校の2年生も2人、このWITHに所属していることも知った。終了後、以前から彼女に「いっぺん開発経済学をみんなに教えてくださいよ。」と言われていたのを思い出した。OKという返事をしておいた。
 今回もJICAの研修員さんがたくさん来られていた。名札のジンバブエの国旗を見て、思わず声をかけてしまった。もうそれからはイケイケである。エチオピア、バングラディシュ、ブータン…。
 エチオピアの方には、JICAエチオピアのスタッフに私の知り合いがいることを話した。共にケニアを旅したS嬢と高校生セミナーで毎年お世話になったF氏である。ブータンの方とは、国王の国民総幸福というINDEXの話をした。記憶があいまいだが、この3カ国の方と話すのは初めてだったと思う。私の「地球市民の記憶」は、これで80カ国になった。

2010年2月5日金曜日

私のすべらない話Ⅱ


 今日は昼から、社会科研究会の研修があり、日本銀行の大阪支店を初めて見学した。旧館は前半分をうまく保存し明治の風情を残しており、新館は明治の風情をそれとなく生かした現代的なビルとなっていた。旧館のVIPルームに入ったり、新館の窓口業務を見学したり、展示室には、札束のレプリカとそれを運ぶ機材があったりして、なかなか面白かった。
 ところで、今日の本題はすべらない話Ⅱである。またまたNYC編である。実は、私は日銀に行ったのは初めてだが、10年以上前、アメリカの日銀と言ってもいいニューヨークのFRB(連邦準備銀行)に行ったことがある。ここには予約がないと行けない。地球の歩き方を見て、英文の申し込みをした。(もちろん前任校の英語の先生に頼んだ。)滞在先のB&Bに、そのプラチナ・チケットがと着いていたことを知って小躍りした。何故なら、FRBには、世界中の政府の金塊が保管してあるのだ。
 当日のツアーの仲間は黒人の学生と黒人のカップルだった。エレベータで地下に降りる。長い。ドアが開くと、金塊を運んでる白人のお兄さんがいた。ある黒人学生が「触ってもいいかい?」と聞くと、「ノープロブレム」という返事。「ミートゥー?」と言ったら頷いたので、私もすこし触らせてもらった。さらに違う学生が、金塊を持ち上げようとした。その瞬間、お兄さんは銃を彼に向けたのだった。「触ってもいいとは言ったが、持ち上げていいとは言わなかったぜ…ベイビー。」あわてて金塊をもどし、彼はホールドアップ状態になった。アメリカ人はこういうギャグが好きらしい。金塊のある部屋は、牢屋のようになっていて、そこに金塊が禁固されていた。政府間で金の取引があった場合、この牢屋内で移動するのだった。昔ソ連が、アメリカから穀物を輸入し、金で支払ったという記事を読んだことがある。私はてっきり、ソ連からアエロフロートで空輸されたのだと思っていた。
 さて、金塊の保管室から出て、質問会。様々な質問が出た。ネイティブスピーカーで同士で盛り上がっていた。愛想笑いするのが、辛い…。勇気を出して、「I have one question!」「私は日本からきた社会科教師である。我が日本の金塊は先ほどの部屋のどこにあったのか教えてほしい。」と質問した。すると、ガイドの太ったおばさんは、「私も知らないわ。トップ・シークレットなの。」と言ったのだった。そりゃそうだ…と思ったら、おばさんは、ボタンを押した。機械音がして、金塊の保管室と我々のいる場所を結ぶ通路が、突然廻りだし壁に変わった。ガシャーン!金塊の保管室との通路は鉛製の核シェルターだったのだ。私は、黒人学生たちと共に声をあげた。「すげぇ!」…これまた、文章で読むとわかりにくいが、毎年大うけする私のスベラナイ話である。日本とアメリカ、ちょいとばかりスケールが違うのである。

2010年2月4日木曜日

JICAスプリング・セミナー始動


 昨日JICA大阪から、国際協力・高校生スプリングセミナーの書類が届いた。この高校生のセミナーは2泊3日で、だいたい10校程度の高校が集まり、総勢40名の生徒が、JICA大阪に来ている研修員さんとミーティんグしたり、様々な国際理解教育のワークショップを行うイベントである。<写真は07年度の研修員さんとの交流後のスナップ。>
 昔は春・夏の年2回開催だったが、ここ3年くらいは春のみになっている。クラブ等の関係でなかなか集まらないのがその理由らしい。本校は、私が赴任した年の夏のセミナーからほぼ毎回参加している常連校である。何人かの先生方にも参加していただいたこともある。今年は、その参加していただいた経験のある国語科2年生の担任のT先生に、参加者の推薦をいただいた。昔は全校に一般公募したこともある。むちゃくちゃ集まってエライことになったこともあるし、春休みの英語科のセミナー(英語科2年生が参加し、受験英語を徹底的にやらされる特訓のようなセミナーである。)とぶつかって遅れて参加したこともある。だいたい国語科2名英語科2名で連れていくのが理想なのだが、なかなかうまくいかない。今年は思いきって国語科4名で行くことにした。
 昔のセミナーは、最初に学校紹介があり、英語で研修員さんや他校の生徒をビビらさねばならないという使命がかせられていた。英語の先生方にスピーチの練習をしていただいていた。やがて、それに時間を費やすことが、研修員さんとの交流の時間不足をまねき、学校間の格差を生むという批判もあったのだろう。今ではそういう意地を張る機会は消えた。
 と同時に、それまでは、2日目の午後からディベートの準備をし、最終日の午前にディベート大会という超シビアな、ほとんど徹夜で準備というスケジュールだったのだが、パネルディベートに変わり、やがて調べ学習、それを発表するという形式に変化した。各校4名が参加し、バラバラにチームわけがされる。中には、ディベートについてこれない生徒もいた。幸い、本校の生徒はこういうのが好きで、中心メンバーとしてバリバリやってくれていたものだ。そういう過去を知る私としては、最近のセミナーにちょっと「ぬるさ」を感じてしまうこともある。
 さて、選りすぐりの国語科最強軍団を今回は連れていく。英会話能力はちょっと不安だが、今日の初会合の感じでは、昔の本校のメンバーの「匂い」がした。期待大である。

2010年2月3日水曜日

節分はダイアン吉日


 今日は節分である。正月のブログにも書いたが、私は季節感のない人間で節分には興味がない。ロングロング・アゴー、私が23歳、初担任をしていた商業高校の2年4組のクラスでのことである。終わりのショートホームルームに行くと、なにやらみんな薄気味悪く笑っていた。「…?」クラスの会長が「今日は節分です!」と言った瞬間、全席から豆が飛んできたことがある。これを企画したクラス会長も今や45歳のオバサンである。(ちなみに彼女は私が3年生の時の担任した男子生徒と結婚した。今も家族ぐるみの交流が続いている。)
 ところが、めずらしく今年は今日が節分だと知っていた。いつも校外に出て喫煙する仲間の管理作業員さんたちが「節分やねえ」と言っていたからだ。まさかと思ったが、帰宅すると夕飯は『巻き寿司』だった。結婚後初めてではないか?と思ったら、義理の姉が我が家に買っておいてくれたものだという。ちなみにカレーうどんと共に食したのが我が家らしい。
 さて、本題である。今日は、英語科の講演会があって、久しぶりに「ダイアン吉日」さんが来校された。イギリス人女性の落語家である。1年生の地理Aの授業で、例の「民主主義がアフリカ経済を殺す」から、選挙とクーデターの話をして盛り上がった後、「今日の講演会、誰が来るんやったかな?」と聞くと、「ジャイアン・キチジツさんです。」との返事。大笑いした。どうせなら「ジャイアン・キテレツさん」と藤子不二雄であわせろよと思ったが…。とにかく彼女が来られるのは英語科の20周年記念総会で演じて以来だと思う。あの時私は3年の担任だった。英語で落語をやってくれる人で、チョー面白い。実際に聞きに行かれた先生方によるとさらに面白くなっていたとのこと。行けばよかったが、今日も仮想世界ゲームの報告書書きに追われていた。
ところで節分の今日は…大安吉日ではなく、先勝である。

2010年2月2日火曜日

教え子はアフリカをめざす


 今朝いつもの京橋のパブでモーニングしていると、携帯が鳴った。私はメールはともかく電話にはでないことが多い。あとでメールが来て、某国公立大学に行っているOGであることがわかった。放課後電話で話したところによると、チュニジアに行くことになるかもしれないとのこと。関東の某国立大学からのオファーに通っている大学が連携するとかで私費留学的な形とか。そういえば、昨秋もアフリカに行きたいというOGの相談を2件受けた。外務省関連とJOCV関連であった。なぜか両方とも行先は…セネガルである。

 このアフリカをめざすOG3人の共通点は、彼女らが3年生の夏休み直前に、JICA大阪国際センターに連れて行ったメンバーであることだ。ラオス、ヨルダン、もうひとつホンジュラスだったか…中南米の国から、景観保護のために若い建築家が技術研修員として来日しており、彼らとミーティングするのが目的だった。もちろん英語である。私が、さあ…といった瞬間、彼女らはグループに分かれ、研修員さんと冗談を交わし、大笑いしていたのだった。私もJICAのスタッフも彼女らの英語力にあきれたのを思い出す。<上記の写真はその時のものである>彼女たちも、今や、国公立や有名私立大学に進学し、それぞれ自らの進路選択の中に国際協力の仕事が含まれているようである。ありがたいことである。
 
 フランス語大嫌いの私の弟子でありながら、語学堪能な彼女らにフランス語は大した障害ではないらしい。フランス語圏のアフリカの未来は明るい。

2010年2月1日月曜日

猶余忠義塡骨髄


 木曜日以来ブログを休んでいました。仮想世界ゲームの報告書をひたすら書いていたのですが、ふとブログを開けてみると、前回の投稿にコメントが入っていました。唯一の読者である、ブルキナに滞在中の荒熊氏かと思ったら、成毛眞さんという方でした。さっそくリサーチをかけると、日本マイクロソフト社の元社長で、有名な実業家の方でした。思いもかけないことです。しかもありがたいことに、成見さんのブログに、私のブログのことを載せていただいていました。感激です。

アフリカをなんとかしなきゃ ブックマーク | 18:59
 『民主主義がアフリカ経済を殺す』の書評を書いているときに見つけたブログだ。高校教師によるものだ。プロフィールを見ると51才。いきなり昨年12月にブログを始めたとのことだ。進行中の仮想世界ゲームが面白い。「英語DE南北貿易ゲーム」というのもすごい。さすが大阪市立南高校だけのことはある。

 なにより嬉しかったのは、私が一切記すことをせず、こそっとリンクの一番下にに載せている勤務校のことをこのように表現いただいたことです。
 成見さんの著書に『本は10冊同時に読め!』というのがあることを知りました。私も10冊とはいかないまでも何冊か同時読みをしています。その中の一冊は、日本の名著29藤田東湖です。水戸学が気になり、回天詩史を読んでいます。今日のタイトルは、その一節『猶余忠義塡骨髄』(猶お余す忠義の骨髄に塡つるを)としました。私は前任校の工業高校で15年、ひたすら時を待っていました。もちろんその頃の教え子は勉強は苦手でも素直な男子が多く、精一杯勤めあげましたが、本校に赴任して、「教える喜び」・「ともに学ぶ喜び」を得ました。本校の生徒のためになることなら何でもさせていただこうという気持ちだけは誰にも負けないつもりです。
 とはいえ、今や、公立高校の同一校勤務は10年が原則です。残すところ後2年余りとなりました。
 私は、ここ5年ほど、本校をユネスコ・スクールにしたいと、何度も校長に提言してきました。ユネスコ・スクールの集会にも毎年足を運び、昨年のユネスコ・スクールの大阪国際高校生会議にも生徒を連れて参加しました。知り合いの先生からまだ申請しないのですか?と言われ続けてきました。しかし、諸事情があり、なかなか進展しないままです。実は今日は、その出張があったのですが、とある理由で断念しました。
 もう時間がありません。2年では私が責任をとれる体制づくりは無理だと思っています。…とは言え,『猶余忠義塡骨髄』なのです。焦る気を抑えつつ、自分に何ができるかを常に問いかけていきたいと思います。