2026年10月20日火曜日

吉村昭『落日の宴』を読む5

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私事ながら、体調不良がまだ続いている。『落日の宴』の書評第5回。川路聖謨は、筆頭の勘定奉行となるのだが、失脚の時がやってくる。それは、当時の将軍後継問題に巻き込まれた故である。一橋慶喜の優秀さを知る川路聖謨は、表には出さないものの一橋派だと見られていた。同時に徳川斉昭との距離が近いことも一橋派だと見られたのである。ところが、朝廷との開国の折衝が上手く行かず、大老に紀州派の井伊直弼が就任するや、これが仇となる。井伊直弼は、徳川斉昭を忌み嫌っていたのである。そういう権力闘争の中で、職を解かれることになる。

水戸の烈公・徳川斉昭は特異というか、怪異な人物であると私も思う。彼の攘夷論は、幕末維新に膨大な影響を与えたし、失脚してから水戸脱藩藩士の桜田門外の変へと進展する。これは江戸幕府の威信を見事に損なう。川路聖謨は、その尊攘の志士たちが与える影響を大いに危惧していた。

その後外国奉行に復帰するのだが、朝の鍛錬の最中に倒れてしまう。半身不随の身となり、身を引くのである。読んでいると彼のあまりの変容に胸が苦しくなるほどである。さらに弟の井上清直が死去する。失意の中、鳥羽・伏見の戦いがあり、あろうことか慶喜は江戸に戻り恭順の姿勢を見せる。薩長の兵が駿府にまで迫ることも耳にする。

下級の身分でありながら、将軍家の恩寵で出世させてもらったという意識が、江戸幕府の終わりを迎えるに当たり、彼を自刃に追い込む。残念ながら切腹だけでは死ねず、腹部にサラシを巻いたうえで、短銃自殺を行うのである。まさに、幕臣としての美学を貫いたと言って良い。稀代の外交官として幕府に尽くし、見事に果てたといえようか。

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