いろいろ面白いことが書いてある。自分なりに咀嚼しながら、梅原の書いていることを整理しておきたい。釈迦の思想は、初転法輪の四諦にあるように、苦の世界をいかに超克するかという視点で解かれている。ある意味で、人生否定の思想である。しかし、大乗仏教では、人生肯定の思想に変化していく。かつて、盲目の意志を説いたショーペンハウエルは、仏教の中に意志否定の哲学を見た。釈迦の理想とは、欲望を否定し枯れ木のような人間になることであるとした。たしかに、原始仏教、上座仏教に関する限り正しい。大乗仏教には、法華経の永遠の生命論を基盤に、ペシミズムの克服が解かれ、ニーチェ的な意志論がある。大乗仏教は、一面で生の暗さを凝視し、一面で生の讃歌をもつ二面性のある思想である。そこには光と影の織りなす微妙な生のニュアンスがある。こう考える時、仏教が日本に与えたものは、何であったかを理解できる。原始的日本人は、おそらく楽天的な生命肯定の思想に生きていたのであろう。その宗教は、本居宣長や平田篤胤が理想としていたものだったろう。この日本人に、仏教はより思弁的な否定の哲学(ペシミズム)と肯定の哲学(オプティミズム)を同時に与えたのである。
…なるほど。さすがに梅原猛である。
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