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ソカイ道路沿いを南下、源ケ橋商店街近くの東宝系の「パーク劇場」では、東宝の怪獣映画を見に行った。ゴジラが正義の怪獣となり、モスラ・ラドンとともにキングギドラと戦った「三大怪獣地球最大の決戦」、X星人が登場し再度キングギドラと戦った「怪獣大戦争」や、私のイチオシである「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」などをここで見た。ちなみに加山雄三と田中邦衛(青大将)が登場する若大将シリーズとの二本立てだったはずだ。こっちは真剣に見ていないのでエレキの若大将しか覚えていない。(笑)意外に印象に残っているのは、怪獣映画以外の特撮モノの「妖星ゴラス」と「マタンゴ」。ホント、身の毛がよだつほど恐ろしい映画で、長らくトラウマになったくらいだ。
https://www.toei-video.co.jp /special/pussnboots/ |
さて、猫間川筋を南下して寺田町駅のそばまで行くと、「電気館」があった。高校時代に親友のN君と山口百恵主演の「伊豆の踊子」を見に行った。調べてみると、この映画は東宝配給なのだが、パーク劇場でなく、電気館だった。と、いうのもこの頃には、パーク劇場は日活系になっており、ロマポルノ専門になっていたからである。パーク劇場は、後に勤務することになった工業高校のすぐ近くで、赴任時にはもうなくなっていた。
TVが映画館に大打撃を与え、下町の映画館の淘汰が進んでいたのである。怪獣映画は、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」、あるいは「仮面ライダー」「マグマ大使」といった週替りの新作ラインナップに到底かなわなくなっていく。
蛇足だが、これらの映画館の上映作品の看板は、俳優の顔など、そっくりでしかも手描きの味があった。後から知ったのだが、これらは原画を投影機で拡大して真っ白な看板上で輪郭を取る場合が多いらしい。そこに着色していくわけだ。前述したが、私は高校時代、図案科(今はビジュアルデザイン科となっている。)で、体育祭の時に他の科(たとえば時任三郎がいた木材工芸科)などから、自科の応援歌(他科の悪口が挿入されている)の中で「(図案科の連中の)成れの果ては看板屋(趣意)」と揶揄されていた。たしかに、1年時の図案科のバックパネルは、ビートルズのLET IT BEのアルバムそのもので、メチャクチャ上手かった。そうか、3年になると映画館の看板屋といわれても仕方ないほど上手くなれるのだ、と思ったものだ。さらに蛇足だが、新任の商業高校時代、職員劇の背景を担当して、囲炉裏を書いたのだが、我ながら立体感がうまく出せて、高校時代の修行の成果を発揮できたかと思う。(笑)
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