https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_007.html?media=pc |
鈴木論文も同様にマレーシアの政治体制を鳥瞰しているように思う。マハティール首相の就任が81年5月なので、今回通読した「結社法」「国家機密法」「印刷機出版物法」「NECC成立」などは、マハティール政権下の話である。マハティール氏の功績は計り知れない。マレーシアが経済的にASEANの中でも中心的な存在に成りえているのも、マレー系と非マレー系の経済格差が曲がりなりにも減少しているのも彼の政治手腕によるところが大きい。もちろん清濁合わせて政治であるから、弾圧、強権、独裁といった批判は存在する。万人から100点満点を貰える政治家など存在しない。
そこで思うのは、先行研究の欧米の研究者は、民主主義や自由・人権という社会契約の正義を信じきっているきらいがある。アジアの、宗主国イギリスの政策で華僑・印僑が連れてこられた歴史を持つ多民族国家の旧植民地で、しかもイスラム教が国教とはいえ、宗教の基盤も、そして言語も民族的に大きく異る国土世間である。そこに欧米的な民主主義や自由、人権を普遍的なものとして当てはめることが果たして可能かと私は思うのである。マハティール氏は、そういう欧米の押し付けを嫌う人であると私は思っている。マハティール氏は、マレー系を代表しているが、同時に経済を握る中華系・インド系の重要性を深く認識している。いわゆるブミプトラ政策の中心者ではあったが、普遍的な政策だとは考えていなかったと私は感じている。先進国への飛翔した後は、徐々に緩めていこうと考えていたと思う。その証拠は、2018年の首相復帰後、国連の人権差別撤廃条約批准を推し進めたことである。これは事実上、ブミプトラ政策の否定といっても良い。結局批准はかなわなかったが、マハティール氏の志は、マレー系の人々が中華系・インド系と肩を並べる経済的人材群になることであったと私は思う。1996年6月の「マハティールの涙」(2017年4月5日付ブログ参照)こそ、彼の政治心情だったと思うのである。
よって、この論文に記されている法改正の各項目は、そういう過程で必要悪の改定もあっただろうし、非マレー系との妥協も十分なされているのは当然のことである。政治体制的には開発独裁のカテゴリーであると私も思うが、そこにはマレー系の覚醒をひたすら待ち望んでいる彼の姿が浮かんでくるのである。マレーシアにはマレーシアの、時に応じた政治体制がある。硬軟自在に舵取りをしてきた、といって良い。批判されてなんぼという覚悟も感じる。
この鈴木論文は、そういったマレーシアの政治体制を、(欧米の”普遍的”な視点ではない)アジア人の眼で冷静に、詳細に記述してある素晴らしい論文だと思う。
ちょうど、マハティール氏がコロナに感染し、検査入院したという報が流れていた。健康の回復を心から祈りたい。
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