2022年9月17日土曜日

ムッソリーニと古代ローマ

「独裁の世界史」(本村凌二/NHK出版新書)の書評の続きである。ギリシア・ローマ時代の詳細な解説の後、ルイ14世であるとかビスマルクであるとか、レーニン、スターリンの話が続くのだが、ロシアや中国のような国では、支配する側の論理・支配される側の論理が伝統的に圧倒的なので、独裁政があたりまえになっているという著者の指摘には納得するしかない。

…そう考えると、日本においては、権威を持ち国体を意識する天皇制とともに、江戸時代でも幕府も各藩も合議制が主流で、ロシアや中国とは異なる政治風土である。これもローマ的氏族社会の延長線上にあるのと経世済民的な儒教道徳の為せる技であったように思う。アジアであってアジアではない日本のオリジナル性かもしれない。

さて、私が最も印象深かったのはムッソリーニの話である。ヒトラーより早く独裁政にたどりついたムッソリーニ、元々社会主義者で反戦的であったムッソリーニは、WWⅠの時参戦に転向し、従軍。戦後社会党左派(=共産党)に対抗し黒シャツ諦を組織(この辺はヒトラーのSAに似ている)し、反社会主義勢力から指示を得、議会でも35議席を得た。(この辺もナチに似ている)1922年のゼネストに際し、優柔不断な政府に代わり黒シャツ隊を持って鎮圧(ローマ進軍)。以後議席でも多数派となり国王にも認められ首相となっている。

著者は、戦勝国であったイタリアでムッソリーニが独裁が生まれたかについて、次のような論点を提示している。ひとつは、ムッソリーニが巧みにローマのイメージを想起させたからというものである。ローマ進軍は、かつてのスッラがやったことで、カエサルのルビコン川を超えた事も含め、強力な力を備えた人間がローマに向かうという行動はイタリア人の原像に訴えかけるもので、有事の独裁官による指導体制を彷彿とさせるものであった。ふたつめは、イタリアが遅れてきた国民国家であり、ローマの栄光を再びというビジョンをムッソリーニが示し帝国主義化することを国民が待望したからというものだ。まさにイタリアという土壌がムッソーリニを生んだのだと。…実に興味深い話だった。

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