帝国主義については、現代人は悪いイメージしかないが、当時は南ア植民地首相のセシル・ローズの「(イギリス国内の)貧民による内乱を欲しないならば、我々は帝国主義者とならざるをえない。」という言に代表されるように、19世紀の政治家は国内問題を払拭するための方便と考えていたようだ。佐藤優は、現代はこの帝国主義が再び蘇っていると考えている。中国の海洋進出を始め、アメリカが主導していたTPPなどは環太平洋の帝国主義圏であるし、EUは広域帝国主義連合で本質はドイツ帝国主義。ロシアもクリミアやウクライナ戦争は「制限主権論」(ワルシャワ条約機構のプラハの春のような社会主義体制が脅かされた場合、個別国家の主権は制限される)を応用していると見ている。アメリカも同じ制限主権論で、アメリカ型の価値観になじまない国は主権が制限されてもかまわないとアフガンやイラクとの戦争を正当化している。現代は新冷戦構造ではなく、帝国主義対立であるという立場である。
ここで、佐藤優はレーニンの「帝国主義」を読み解く。レーニンは、帝国主義を次のように定義している。1:経済生活の中で決定的な役割を演じているほどに高度の発展段階に達した、生産と資本の集積、2:銀行資本と産業資本との融合と、この「金融資本」を土台とする金融寡頭制の成立、3:商品輸出と区別される資本輸出が特に重要な意義を獲得すること、4:国際的な資本家の独占団体が形成されて世界を分割していくこと、5:最大の資本主義的諸強国による地球の領土的分割が完了していること。帝国主義とは、独占と金融資本との支配が成立し、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割は始まり、最大の資本主義諸国による地球上の全領土の分割が完了した、というような発展段階における資本主義である。
佐藤優は、レーニンの定義は5以外現代にも当てはまるとしており、中国やロシアも含め国際構造の中、レーニンが言うように必然である。ただ、19世紀からWWⅡまでの帝国主義と現代の帝国主義が違うのは植民地を求めないことである。それは人類が文明的になったからではなく、単に植民地を維持するコストが高まったからにすぎない。また帝国主義国は共倒れを避けて、全面戦争を避ける傾向にある。しかし、外部からの搾取と収奪により生き残りをはかるという帝国主義的本質は変わらないと説明している。
帝国主義国は、相手国の立場を考えずに最大限の要求を突きつける。相手国が怯み、国際社会も沈黙するならば強引に自国の検疫を押し付ける。相手国が抵抗し、あるいは国際的非難が強まると譲歩し、国際協調に転じる。これは結局のところ自国の利益のための打算にすぎないというのが佐藤優の分析である。
…開発経済学の徒としてはまさに言い当てて妙。新帝国主義、まさに恐るべしである。
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