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https://www.sankei.com/article/20220929-ROOZRIVLRNKGVGJOOP7OFBKEUE/ |
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https://www.mod.go.jp/asdf/hyakuri/ |
神戸空港から茨城空港までのスカイマークの直行便がある。うーん、なかなかいいのではないか?朝昼夜と一日3便あるみたいだ。茨城からも同様3便。日帰りでF2を見に行くことができそうだ。
と、アホなことを考えていたのだった。
ESDとアフリカの開発経済学をライフワークにしている元大阪市立高校教諭のブログです。ケニア、南ア・ジンバブエ、ブルキナファソに足を運びました。58歳で、マレーシアの日本語学校に3年半勤務、その後四国最西端の三崎高校公営塾塾長となり、64歳で大阪に戻り、兵庫県の私立高校の2年間を経て、4月から大阪市の私立高校にお世話になっています。 メールアドレス:bfa.katabiranotsuji@gmail.com
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神戸空港から茨城空港までのスカイマークの直行便がある。うーん、なかなかいいのではないか?朝昼夜と一日3便あるみたいだ。茨城からも同様3便。日帰りでF2を見に行くことができそうだ。
と、アホなことを考えていたのだった。
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…いやあ、凄いな。今更ながら、これは甲子園(高校野球)での話ではない。MLBでの話である。ホームラン数は昨年より少ないが、投手としてより活躍している、というよりMLBでも先発投手としてトップクラスの成績をおさめているわけで、MVPをヤンキースのホームラン打者と争っているとかいう話だが、そんなことはどうでもいいではないか。
大谷選手は、金銭的な欲は全くと言っていいほど無いらしい。MVPをもらおうが、高年俸を受け取ろうが、きっとどうでもいいことなのだ。そういう侍が、世界に一人くらいいていい。
「新左翼が内ゲバとテロリズムに傾斜し、社会的影響力を失うなかで、左翼の主戦場は労働運動になったという見方を私たちはとった。そこで社会党左派を支えた社会主義協会が台頭するが、そのマルクス・レーニン主義的な前衛主義に対する総評、社会党内の反発が強まり、1970年代後半に社会主義協会の活動に規制が加えられる。さらに政府・自民党の国鉄分割民営化によって社会主義協会の影響が著しく低下した。国際情勢では、ソ連や東ドイツを理想化的な社会主義体制と見なした社会主義協会の思想的限界が1989年11月のベルリンの壁崩壊、1991年12月のソ連崩壊によって露呈した。非ソ連型マルクス主義として出発した労農派が、ソ連の崩壊とともに政治的にも思想的にも完全に影響力を喪失したというのも歴史の弁証法なのだろう。同時に社会党(社会民主党)からマルクス主義の要素が消え去った。結果として、現実に影響を与ええる左翼は日本共産党だけになった。その共産党は、議会を通じた平和革命と平和主義というかつての社会主義の路線を密輸入することで生き残りを図っているが、前衛思想と民主集中制のくびきから逃れることが出来ずに行き詰まっているというのが本書の分析だ。」
「ロシアのウクライナ侵攻で世界の構造が変化しつつある。ロシアの行為は、ウクライナの主権と領土の一体性を毀損する既存の国際法秩序に反する行為で厳しく弾劾されなくてはならない。当事国であるウクライナとロシアはもとより西側諸国(米国・EU・日本・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド、シンガポール、台湾、イスラエル)では多くの人々が無意識のうちに自国政府の立場と自らを一致させている。(アフリカ、中南米、中国、東南アジア、西南アジア、中央アジアの諸国では、政府も国民も欧米の立場にもロシアの立場にも同調していない。)その中で、プロレタリアートは祖国を持たないので、階級の立場からあらゆる帝国主義戦争に反対するというかつての左翼の声は全くと言っていいほど聞かれなくなった。日本共産党も、自衛隊は憲法違反であるが、日本が侵略された場合には、自衛隊を活用するという祖国防衛戦争論を前面に掲げるようになっった。」
「ウクライナ戦争の進行とともに左翼的価値がもう一度見直される可能性があると私は考えている。(中略)さらにウクライナ戦争で燃料、食料価格が高騰し、インフレが起きている。インフレは社会的に弱い層の生活を直撃する。今後格差問題だけでなく貧困問題も深刻になる。その過程で平等を強調する左翼的価値は見直されることになると思う。」
「イエスが述べた隣人愛の価値観を左翼の人々は、神なき状況で実践しようと命がけで努力したのだと思う。しかし、神(あるいは仏法)不在のもとで、人間が理想的社会を構築できると考えること自体が罪(増上慢)なのだ。社会的正義を実現するためには、人間の理性には限界があることを自覚し、超越的な価値観を持つ必要があると私は考えている。日本左翼史というネガ(陰画)を示すことで、私は超越的価値というポジ(陽画)を示したかったのである。(後略)」
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ロシアでも人気のVWトゥアレグ https://www.autocar.jp/post/618632 |
何度も書いているが、戦況に関するニュースはプロパガンダの可能性が高いので私は一切見ていないが、こういう確かな情報は重要だ。
先日も書いたが、着地点が見えない。何より、ロシアは核保有国である。「核は威嚇のみ」というのも、沈黙の艦隊での名言の一つだが、これは日本人故のの発想であるかもしれない。ロシアが、核を使用しない保障はない。ウクライナはともかく、欧米はそこまで追い詰める気なのだろうか。
ところで、昨日安倍氏の国葬が無事執り行われたようだ。私は、国葬に賛成でも反対でもないのだが、安倍氏の世界の外交における存在感は大きかったように思う。トランプとプーチンと安倍は、うまくやっていたようで、トランプが例の不可解な選挙で退場させられ、次にプーチンが世界の悪者にされ、安倍氏は鬼籍に入った。この符合が、世界を揺るがしているような気がしてならない昨今である。
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https://bund.jp/?p=138626&page=3 |
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https://nappi11.livedoor.blog/archives/5153117.html |
一方、バチカンが全世界の金融資産をバチカンに9月中に集めるような法王からの指示が出ている。これはガセではにようである。なぜ?
昨日のロシアの動員も含めて、「なんか変な感じ」の日々が続いている。
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https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20220922k0000m030157000c |
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https://news.yahoo.co.jp/articles/2b781c8a8cf04d13b831a52b4692720fa87bf68a |
MDGsは開発途上国に向けてのアジェンダで、その有効性はかなりあったと思う。実際絶対貧困は少なくなったし、女性の地位も向上したように国連統計では見受けられる。ただ、途上国での統計なので、開発独裁下の政府も多く、中国同様、適当な数字である可能性は否定出来ないのがつらいところだ。とはいえ、世界は少なくともいい方向に向いているといえる。「沈黙の艦隊」という漫画の中で、国連の事務総長と大滝の会話の中で「国連は傷ついた巨像だ。だが、長い鼻で進むべき方向だけは示せる。」という趣旨の言を吐かれるのだが、まさにそういう感じ。SDGsもまた象の鼻であるといった方がいい。
WWⅡ後の世界を決定づけたのは、チャーチルとF・ルーズベルト。大西洋憲章の中で、自由貿易を基軸にした世界を描いた。保護貿易がWWⅡを招いたという反省からであり、これは正しい選択であったかもしれない。自由貿易によるつながりで戦争を回避するという戦略は、冷戦後かなり意味を持った。今も米中の対立がいくらあったとしても軍事衝突に至らないのはそういう側面が大きい。まあロシアが、この原理原則をぶっ飛ばしたが…。
ところで、自由貿易を途上国から見ると、先進国は途上国に関税をかけず輸入してあげるという”パートナーシップ”を誇るが、先進国からの輸入にも関税を求めない。これは、SDGsにある産業セクター育成等(ゴール8にいろいろなターゲットが書かれている。)を反対に阻害している。事実上、先進国は原料を安価に手に入れ、先進国の工業製品を売りつけやすくしているにすぎない。これでは代価工業の発展さえ望めない。マレーシアのような中進国は、安価な労働力を元手にサプライチェーンとして先進国に尽くしている。まあ、スキル・アップにつながるので、まだ希望が持てるが、アフリカなどでは、自由貿易で、”はしごを外された”も同然であると私などは感じている。自由貿易の功罪というか、構造的暴力というか…。最近SDGsを語りながらもそういうジレンマがある。
ウクライナ紛争による全世界的な、エネルギーと食料のコストプッシュインフレとコロナ禍以来の不況が、グローバリゼーションと新自由主義と合体して、先の見えないスタグフレーションに沈んでいる。先日、アメリカのFRBがさらに0.75%の政策金利の利上げを発表した。アメリカの失業率は3%ほどで、不況対策よりインフレ対策(物価上昇率は8%という数字らしい。)、11月の中間選挙優先というわけだ。お陰で、隣国はデフォルトの危機に陥っている。日本も円安だが、外貨準備高、ありあまるほどの米国債がストックされており慌てる必要はないのだが、世界の基軸通貨のドルも好き勝手にやってくれている。ニューヨークで採択されたSDGsの「No one left behind.」(誰ひとり取り残さない)の精神はどこにあるのやら…。
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https://kaisatsugazo.net/shin-fukushima.html |
それでまあなんとか座って帰ってきたのだが、学園を出て自宅にたどり着くまで4時間かかった。今までの最長時間である。車内も駅内もギスギスした雰囲気。誰もがイラついていた。大都会の憂鬱。
帰宅してさっそく妻が湿布を腰やらふくらはぎやらに貼ってくれた。だいぶ腰に来ていた。今日は4時間授業もあったし、K大法学部受験のために明日東京に立つ生徒と昼休みも真剣に懇談もしていた。多忙な一日だった。明日が休日なのがホント不幸中の幸いである。
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https://www.kobe-u.ac.jp/SCCL/ |
そんなわけで、私自身も考えてみようと思う。戦前ならば、やはり大久保利通かな。列強の植民地化を防ぐための富国強兵、その富国(=殖産興業)を開発独裁の手法で成し遂げようと、レールを引いたのは大久保であり、大久保がいなかったら今の日本は無いだろうと思う。伊藤も功績は大きいが、大久保や輝度から見れば二線級だったし、やはり大久保だと思う。
問題は戦後である。歴代の首相経験者の中では、吉田茂の功績はそれこそ国葬されるだけのものであったとは思うが、対米追従・日本の半植民地化を決定づけたという反面もある。まあ、性格的にも好ましい人物とは言い難い。池田勇人は高度経済成長を牽引した苦労人(東大卒の中の官界で京大卒、しかも結核などの病魔に侵された)である。しかし、首相になった時期が良かった。ラッキーさが付きまとう。佐藤は長期政権でノーベル平和賞ももらったが、特に印象がない。田中角栄は、池田と正反対で首相になった時期が悪かった。日本列島改造計画はすでに時期を逸していた。池田や田中のような日本の総合的プランを提示した首相は少ない。中曽根は少数派閥であるのに、政治手腕を駆使し、米大統領とロン・ヤスの関係性を作り上げた外交上手・パフォーマンス上手であり、安倍のトランプとの関係と似ている。しかし不倫空母発言や日航機墜落事故など黒い部分もあり、結局のところ行政改革から構造改革=新自由主義的な小さな政府化を押し進めたに過ぎない。よって「三角大福中」の中では、角と中のみ宰相らしき宰相で、福にいたっては大蔵省主計局長という超エリートだというだけにすぎない。「安(安倍晋太郎は病死してしまった)竹宮」も宰相というには程遠い。小泉は人気が高かったが、新自由主義化を進め今の日本を最も住みにくくした張本人であると言っても過言ではない。民主党政権は言うに及ばずである。では故安倍晋三はどうか。国葬に値するかはともかく、宰相とは呼べるのではないか。ただ、彼が目指した戦後レジームからの脱却は、決してうまくいかなかった。
というわけで、実に難しいのだが、私は55年体制を作り上げた寝業師を挙げたい。自分が首相になるとかいった私心はなく、吉田自由党と鳩山民主党の合併を成し遂げた鳩山の盟友・三木武吉を挙げたい。「誠心誠意嘘をつく。」という名言を残した寝業師である。まあ、とんでもないオッサンなのだが、最強という意味では三木武吉かな。(笑)
ちなみに、宰相という感じではないが、私はアフリカを1960年という時期に放浪し、人の痛みを知る小渕恵三首相が、沖縄でサミットを開催したことに個人的信念を強く感じている。”凡人”とか”冷めたピザ”とか言われながら、着実に政務(ウタハタ問題を処理したり、周辺事態法や金融危機を乗り越えている)をこなしているのも再評価されていいと思っている次第。
…そう考えると、日本においては、権威を持ち国体を意識する天皇制とともに、江戸時代でも幕府も各藩も合議制が主流で、ロシアや中国とは異なる政治風土である。これもローマ的氏族社会の延長線上にあるのと経世済民的な儒教道徳の為せる技であったように思う。アジアであってアジアではない日本のオリジナル性かもしれない。
さて、私が最も印象深かったのはムッソリーニの話である。ヒトラーより早く独裁政にたどりついたムッソリーニ、元々社会主義者で反戦的であったムッソリーニは、WWⅠの時参戦に転向し、従軍。戦後社会党左派(=共産党)に対抗し黒シャツ諦を組織(この辺はヒトラーのSAに似ている)し、反社会主義勢力から指示を得、議会でも35議席を得た。(この辺もナチに似ている)1922年のゼネストに際し、優柔不断な政府に代わり黒シャツ隊を持って鎮圧(ローマ進軍)。以後議席でも多数派となり国王にも認められ首相となっている。
著者は、戦勝国であったイタリアでムッソリーニが独裁が生まれたかについて、次のような論点を提示している。ひとつは、ムッソリーニが巧みにローマのイメージを想起させたからというものである。ローマ進軍は、かつてのスッラがやったことで、カエサルのルビコン川を超えた事も含め、強力な力を備えた人間がローマに向かうという行動はイタリア人の原像に訴えかけるもので、有事の独裁官による指導体制を彷彿とさせるものであった。ふたつめは、イタリアが遅れてきた国民国家であり、ローマの栄光を再びというビジョンをムッソリーニが示し帝国主義化することを国民が待望したからというものだ。まさにイタリアという土壌がムッソーリニを生んだのだと。…実に興味深い話だった。
本書では、独裁政、共和政、民主政について語られている。日本では、共和政というイメージがあまりないと著者(本村凌二東大名誉教授)は指摘する。集団による統治を思考するのが共和政で、貴族政や寡頭政に近い。ローマにおける市民の民会が最高指導者(コンスル)を始めとする政務官を選び、権威と見識を持った貴族で構成される元老院が助言するというカタチが共和政。ローマでは独裁政は悪と決めつけず「独裁官」を任期を限っで国難を乗り切っている。独裁政=悪というイメージを日本人は持っているが、冷静に世界史を見ていこう、という本なのである。
「公」を意味するラテン語の「レス・パプリカ」が現在の「共和」の語源。ローマでは、公の問題を考え、公を導くのは、ある程度の見識を備えた人間でないとならないと考えてきた。ギリシア語の「デーモス」は「民衆」あるいは「村落」を意味するデモクラシーの語源である。ローマが「公」を重視したのに対しギリシアは「個」を重視したと著者は比較する。この背景として、ギリシアは、リーダー的な存在はいるものの大きな身分差のない共生的な村落社会をもとにポリスを形成したのに対し、ローマでは有力な富裕層を中心にした氏族社会が形成された。ギリシアでは「〇〇村の私」、ローマでは「〇〇家とつながりを持つ私」というカタチでアイデンティティが形成されたというわけだ。実に重要な視点だと思う。
10月15日(土)「TICAD8」で語られたこと
11月5日(土)人材育成の遥かな道ーザンビア大学獣医学部の発展によりそってー
12月10日(土)新型コロナを超えて
1月21日(土)生物と人間の境界に立つー2つの多様性のバランスを求めてー
2月18日(土)アフリカの都市を作る
詳細は、https://www.africa.kyoto-u.ac.jp/archives/info/koukaikouza2022
今回の公開講座は、オンラインと例の稲森財団記念館の大会議室(30名限定)の両方で開催とのこと。できるだけ直接聴きたいところだが、オンラインでは期間限定でアーカイブを公開してくれるらしい。
ところが、11月5日には、「ひらかた市民大学」で関西外大の近藤教授の「呪いの時空ーアフリカの呪術的世界からー」をすでに予約してあるのだった。2013年10月に京大の公開講座で一度お話を伺ったことがある。(10月19日付ブログ参照)うーん。獣医学の方はアーカイブを利用しようかな。
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ブルキナファソの土産物屋 https://www.azalai-japon.com/photobook/burkina/burkina.html |
帝国主義については、現代人は悪いイメージしかないが、当時は南ア植民地首相のセシル・ローズの「(イギリス国内の)貧民による内乱を欲しないならば、我々は帝国主義者とならざるをえない。」という言に代表されるように、19世紀の政治家は国内問題を払拭するための方便と考えていたようだ。佐藤優は、現代はこの帝国主義が再び蘇っていると考えている。中国の海洋進出を始め、アメリカが主導していたTPPなどは環太平洋の帝国主義圏であるし、EUは広域帝国主義連合で本質はドイツ帝国主義。ロシアもクリミアやウクライナ戦争は「制限主権論」(ワルシャワ条約機構のプラハの春のような社会主義体制が脅かされた場合、個別国家の主権は制限される)を応用していると見ている。アメリカも同じ制限主権論で、アメリカ型の価値観になじまない国は主権が制限されてもかまわないとアフガンやイラクとの戦争を正当化している。現代は新冷戦構造ではなく、帝国主義対立であるという立場である。
ここで、佐藤優はレーニンの「帝国主義」を読み解く。レーニンは、帝国主義を次のように定義している。1:経済生活の中で決定的な役割を演じているほどに高度の発展段階に達した、生産と資本の集積、2:銀行資本と産業資本との融合と、この「金融資本」を土台とする金融寡頭制の成立、3:商品輸出と区別される資本輸出が特に重要な意義を獲得すること、4:国際的な資本家の独占団体が形成されて世界を分割していくこと、5:最大の資本主義的諸強国による地球の領土的分割が完了していること。帝国主義とは、独占と金融資本との支配が成立し、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割は始まり、最大の資本主義諸国による地球上の全領土の分割が完了した、というような発展段階における資本主義である。
佐藤優は、レーニンの定義は5以外現代にも当てはまるとしており、中国やロシアも含め国際構造の中、レーニンが言うように必然である。ただ、19世紀からWWⅡまでの帝国主義と現代の帝国主義が違うのは植民地を求めないことである。それは人類が文明的になったからではなく、単に植民地を維持するコストが高まったからにすぎない。また帝国主義国は共倒れを避けて、全面戦争を避ける傾向にある。しかし、外部からの搾取と収奪により生き残りをはかるという帝国主義的本質は変わらないと説明している。
帝国主義国は、相手国の立場を考えずに最大限の要求を突きつける。相手国が怯み、国際社会も沈黙するならば強引に自国の検疫を押し付ける。相手国が抵抗し、あるいは国際的非難が強まると譲歩し、国際協調に転じる。これは結局のところ自国の利益のための打算にすぎないというのが佐藤優の分析である。
…開発経済学の徒としてはまさに言い当てて妙。新帝国主義、まさに恐るべしである。
イギリスの歴史学者・エリック・ホブズボームの「長い19世紀」(1789年のフランス革命から1914年のWWⅠまで)と「短い20世紀」(1914年から1991年のソ連崩壊まで)の理論を元に話が始まる。「長い19世紀」は啓蒙思想(理性を用いて知識を増やし、科学技術を発展させれば理想的な社会が実現する)の時代であり、「短い20世紀」は「破局の時代」(WWⅡの終わる1945年まで)「黄金時代」(1973年のオイルショックまで)「危機の時代」(1991年のソ連崩壊とその後の94年まで)に分けて説明される。
ホブズボームは、WWⅠとWWⅡを31年戦争として捉えている。長い19世紀を通じて形成された「自由ー資本主義社会」を瀕死の状態に追い込んだ。1920年には選挙で政権が作られた国が35ヶ国以上あったが12カ国に減少するほどに自由主義は後退した。この時期、ヒトラーを敗北させたソ連は1929年の大恐慌で優位性を示し、戦後、社会主義は資本主義の自己改革を促す役割を担った。ここまでが「短い20世紀/破局の時代」。しかし、冷戦下で資本主義は前例のない経済的繁栄を迎える。これが「短い20世紀/黄金の時代」。その後、オイルショック後の世界的不況から福祉国家政策が行き詰まり、ソ連も崩壊し、世界が方向感覚を失い不安定と危機に滑り込んでいった「短い20世紀/危機の時代」となる。
ホブズボームは「危機の時代=危機の二十数年」を、新自由主義がグローバリゼーションと結びつきながら巨大な格差を生み出し続け、労働者階級の分裂ー政治的空白を生み出したと指摘している。この時代、政府に対する反発が既存の野党勢力(社会民主党勢力)の有利にはならなかった。新しい超国家的経済においては、国内の賃金は外国との競争にさらされ、政府が国内の賃金を守る力がはるかに小さくなっていると説いている。
佐藤優の解説によると、新自由主義下で安定した職に就いている中・上流層と不安定な下層に分裂し、従来の左翼政党が求心力を失い、大衆主義的な扇動政治と指導者個人を高度に全面に押し出す手法と外国人に対する敵意とを結合しているような勢力がその空白を埋めている、との指摘は現在にも当てはまるとしている。
しかし、佐藤優は、このホブズボームの時代診断が20年の歳月を過ぎても適用できることは間違いないが、「短い20世紀」は、まだ続いているのではないかという仮説を立てている。黄金の時代は「短い20世紀」の中では特殊で、今もなおずっと危機の時代が続いているのではないかというわけである。
WWⅡでアメリカが巨大な物量によって勝利を収めてしまった。アメリカは啓蒙の精神が盛んで、非合理な情念が人間を動かすという感覚がわからず問題を先送りし、ヨーロッパの知識人がWWⅠ以後格闘した「長い19世紀」の啓蒙思想の闇(啓蒙思想や合理主義がもたらす負の帰結とはなにか?という問題。例えばバルトの弁証法的神学、ハイデッガーの存在論、ゲーデルの不完全性定理、アインシュタインの相対性理論やハイゼンベルグの量子力学など思考の枠組みが大きく変化した。)に対してきちんと向き合って来なかったのではないか、そのツケが格差問題や貧困、排外主義、領土問題、民族紛争として浮上しているのではないか、と佐藤優は仮説を論じている。
…実に興味深い内容で、一気に読んだ。このホブズボームの歴史観には私も感銘を受けたし、佐藤優のまだ危機の時代が続いているのではないかという仮説にも賛同する。「長い19世紀」の啓蒙思想の闇については、私の中では若い頃からの精神の奥底にあるライフテーマであるといってよい。青年時代に梅原猛の「哲学の復興」の中でデカルトの二元論批判を読んで以来のテーマなのである。結局、私は、ブディストとして、この「啓蒙思想の闇」への哲学的な回答を得ている。(問題は社会科学的な回答で、これは模索につぐ模索中である。)それはいずれ、語る機会があればと思う。…つづく。
今回は30項目の中から、08「聖書で禁止された利子をめぐる動き」を中心にエントリーしようと思う。
08は、ダンテの神曲の「煉獄」の話から始まる。煉獄は地獄に行くことになりそうな人間が悔い改めの生活をする場所で、高利貸しの罪を犯した人間の苦しむ姿が描かれている。この利子を取るという金融業の根幹について、旧約聖書の申命記23章20節に、「(外国人にはよいが)同胞に利子を付けて貸してはならない。」とある。(出エジプト記22章24節にも同じような記述がある。)
この利子を取ってはいけない理由として、中世キリスト教神学では、「神の与えてくださった時間を盗む」という行為だからとしている。家畜や穀物が子供を産み実をつける。そのようになるまでの時間を与えてくださった神に感謝すべきである。貨幣も同様で、神に感謝せず利子を取るのは神のもの、つまり時間を盗むのに等しい。神のものは、神の代理人である教皇(教会)に戻すのが本来という論理が展開された。一方、異教徒から利子を許すのは、異教徒が崇める神の時間を奪うのは罰せられないという理由付けがされた。よって、一神教の三宗教は同胞から利子の取り立てを禁止しているのだが…。
ユダヤ教徒にとっては、キリスト教は異教徒という認識なのだろう。キリスト教徒は、旧約聖書にこういう規定があっても律法の成就で逃げれるし、実際バチカンも修道院も利子の恩恵に預かっている。近代の金融システムを作り上げたのもキリスト教徒である。まあ、利子を取ったら煉獄に行って悔い改めればいいということなのだろうか。
さて、私が一番気がかりなのは、イスラム教である。調べてみたら、クルアーンにも利子を禁ずる章句が多くあり、代表的なものは第2章275から279にある。ただし、ここでは異教徒や外国人の規定が書かれていない。http://islam.ne.jp/fiqh/fiqh2/islamic_bank/islamic_bank5
イスラム金融について在マレーシア時に、調べたことがある。利子ではない様々な方法で金融をしているのがわかった。しかし、例えば湾岸諸国の政府系ファンドなどはガンガンイスラム世界以外にも投資しているし、当然ながら利子はどうしているのだろうか。あくまでイスラム金融の方法で回収しているのだろうか。もし、ご存じの方がいれば教えていただきたいと思う。私自身も少し研究してみようかなと思うのである。
最近我が家がハマっているのは、「塩豆大福5個入」である。上品な甘さと中に入っている大粒の豆が絶品である。また先日は、「よもぎづくし」というきな粉のかかったよもぎ大福、よもぎ餅のあんころ、よもぎのおはぎ(というより桜餅の桜がよもぎ化したものというイメージ)も発見したのだが、これがまた旨い。
面白いのは、タルト(ただし、愛媛県のタルトである。)も売っていたりすることだ。八幡浜の本社工場をよく知っている身には懐かしい。だが、おそらく愛媛県出身の方ににしか、このタルトのイメージは伝わらないだろうと思う。(笑)あわしま堂の和菓子は決して高くないし、なにより甘さが上品で、一度食べると、他の和菓子は食べられない。我が家は隠れ愛媛県民なので完全なる”あわしま堂のサポーター”になってしまった。ちなみに、マンゴーやパパイヤ、ドラゴンフルーツなどに関しては、隠れマレーシア人でもある。(笑)一度知ってしまった本物の南国フルーツの味が忘れられない。あー、マレーシアでフルーツ三昧したいところ。
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https://biz.trans -suite.jp/25858 |
ところで佐藤は、ドストエフスキーについて、胡散臭く感じているらしい。ユダヤ教では神の名を唱えず、大司祭が年に一度唱えるくらい。それに対し、ドストエフスキーは、神やキリストへの信仰が過剰に表現されており、神への信仰があまり信じていないのではないかというわけだ。同時に左翼から転向した故の右翼的な愛国心の表現も過剰で、もともとの思想をカモフラージュしようと必死な感じが面白いというわけだ。
…そもそも賭博好きで人格的にも疑問符がつく人であると私などは思っている。とはいえ、ドストエフスキーの葬儀の際は5万人の参列者があったという。ソ連崩壊まで、ロシアは読書大国であった。文学者や詩人は非常に尊敬された。消費的な文化産業がなかったこともあるが、同時に識「詩」率が高く、日本の外交官でもチュッチェフの四行詩<知恵でロシアはわからない。一般の物差しでは測れない…>みたいなものがすぐ出て来ない人は尊敬されないのだという。庶民レベルで、詩を愛好しており、プーシキンの誌をほとんどの人が暗唱しているそうだ。
…こういう知識はそう得ることは出来ない。今回もいい本に巡り会えた。
既読の中から面白かった内容をエントリーしたい。本のタイトルは「異端の人間学」である。ロシア人がそもそも異端だというわけではなさそうだが、「スタロヴェール」を理解しないとロシアの本質はつかまえられないという章があって、五木がまだソ連時代にイルクーツク郊外の日本人墓地を訪れた際に周辺でイコンを売っていた黒い服の老婆に出会う話から始まる。社会主義下で物乞いのようにお皿を置いており、通訳に尋ねると「スタロヴェール」だと言う。ロシア正教の異端で、「古儀式派」あるいは「分離派」と呼ばれる。17世紀に、ロシア正教会は伝統的なロシア独自の儀式をやめて、ギリシア正教のグローバルな儀式を取り入れる宗教改革を行った。
これに反発したのが「スタロヴェール」で、十字をきる際に二本指だったのを三本指に変更したが、これを拒否、迫害や拷問を繰り返し受ける。指導者だった修道士・アバクームは火あぶりになっている。国にも属さず、教会も持たない国民としてロシア中を放浪して歩く放浪教徒と呼ばれた存在である。ロシアでは、こういったさまよう者たちへの憧れ、称賛(五木によればイージー・ライダーの時代のピッピーのような)の思いがあり、彼らを保護する村もたくさんあったようだ。五木によれば、そんな村の一つにレーニンが匿われ、それがプーチンの祖父だったという事実があるらしい。
実は初期ロシアの資本主義を担ったのは「スタロヴェール」で、プロテスタントの職業倫理観と共通の側面があるとのこと。また聖書重視(ロシア正教ではありえない)だった点もプロテスタントに近い。ロシアには「スタロヴェール」の資本家が大勢いて、洋菓子のモロゾフ家もそうであるらしい。レーニンに資金を供給していたという。(彼らにとって迫害してきたロマノフ朝は敵である。)彼らは17世紀から共同生活を行い、労働で生きてきた。このネットワークがソヴェート(会議)と呼ばれていたというのは驚きだった。…つづく。
♪何にも知らない お人好しの僕は
友からいつの間にか裏切られていたのも知らず
何にも知らない お人好しの僕は
恋人がいつの間にか心変わりしていたのも知らず
いつも一人で 友情のことを思い
いつも一人で恋人との将来を夢見たいたのでした
www.youtube.com/watch?v=AdQs-9y5R9w&ab_channel=TheNekomimi22
最近、この歌が脳裏を巡っている。「僕」を「日本」、「友」や「恋人」を「中国」や「アメリカ」に置き換えてみると、実に沁みる。昔、「新しい世界史の見方」という講談社現代新書に、日本を多分に情緒的女性的な国家として捉えた視点(今ならかなりジェンダーに引っかかりそうだが…。)が提示されていた。日本を取り巻く国や西洋列強はその対蹠にある。この歌の主人公は、男性だが、何にも知らないお人好し。たしかに日本という国は、ずっとこういうスタンスで来た気がする。
政治経済を教える自信がこのところ無くなってきた。高校の学習内容で捉えきれない、日本で報道されない重要なニュースが多すぎる事がその理由である。バチカンが9月中に全ての海外資産をバチカン(の中央銀行)に戻せという教皇の勅諭が出たらしい。カトリック教徒にとっては、神の言葉である。どう捉えればいいのか、何にも知らない お人好しの日本人にはわからない。友情のことを想い、恋人との将来を夢見ていた方が幸せに違いない。今、我々はそんな存在であると思うのだ。
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https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2020/ISQ202020_007.html?media=pc |
鈴木論文も同様にマレーシアの政治体制を鳥瞰しているように思う。マハティール首相の就任が81年5月なので、今回通読した「結社法」「国家機密法」「印刷機出版物法」「NECC成立」などは、マハティール政権下の話である。マハティール氏の功績は計り知れない。マレーシアが経済的にASEANの中でも中心的な存在に成りえているのも、マレー系と非マレー系の経済格差が曲がりなりにも減少しているのも彼の政治手腕によるところが大きい。もちろん清濁合わせて政治であるから、弾圧、強権、独裁といった批判は存在する。万人から100点満点を貰える政治家など存在しない。
そこで思うのは、先行研究の欧米の研究者は、民主主義や自由・人権という社会契約の正義を信じきっているきらいがある。アジアの、宗主国イギリスの政策で華僑・印僑が連れてこられた歴史を持つ多民族国家の旧植民地で、しかもイスラム教が国教とはいえ、宗教の基盤も、そして言語も民族的に大きく異る国土世間である。そこに欧米的な民主主義や自由、人権を普遍的なものとして当てはめることが果たして可能かと私は思うのである。マハティール氏は、そういう欧米の押し付けを嫌う人であると私は思っている。マハティール氏は、マレー系を代表しているが、同時に経済を握る中華系・インド系の重要性を深く認識している。いわゆるブミプトラ政策の中心者ではあったが、普遍的な政策だとは考えていなかったと私は感じている。先進国への飛翔した後は、徐々に緩めていこうと考えていたと思う。その証拠は、2018年の首相復帰後、国連の人権差別撤廃条約批准を推し進めたことである。これは事実上、ブミプトラ政策の否定といっても良い。結局批准はかなわなかったが、マハティール氏の志は、マレー系の人々が中華系・インド系と肩を並べる経済的人材群になることであったと私は思う。1996年6月の「マハティールの涙」(2017年4月5日付ブログ参照)こそ、彼の政治心情だったと思うのである。
よって、この論文に記されている法改正の各項目は、そういう過程で必要悪の改定もあっただろうし、非マレー系との妥協も十分なされているのは当然のことである。政治体制的には開発独裁のカテゴリーであると私も思うが、そこにはマレー系の覚醒をひたすら待ち望んでいる彼の姿が浮かんでくるのである。マレーシアにはマレーシアの、時に応じた政治体制がある。硬軟自在に舵取りをしてきた、といって良い。批判されてなんぼという覚悟も感じる。
この鈴木論文は、そういったマレーシアの政治体制を、(欧米の”普遍的”な視点ではない)アジア人の眼で冷静に、詳細に記述してある素晴らしい論文だと思う。
ちょうど、マハティール氏がコロナに感染し、検査入院したという報が流れていた。健康の回復を心から祈りたい。
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今年も独立記念日のマレーシア空軍のパフォーマンスは健在 https://www.malaymail.com/news/malaysia/2022/08/25/rmaf-to- conduct-aerial-drills-from-tomorrow-in-preparation-for-national-day/24786 |
前回のエントリーで、71年の憲法改正について、マレー系はもちろん、非マレー系も互いの利益を鑑みながら協議する必要性に迫られていたことを少し引用した。大きな問題は、マレー系のUMNOにとっては特別な地位の保証であり、国語問題であり、経済格差の是正である。
中華系のMCAにっとて最大の問題は、市民権である。改正案ではこれを争点にすることを禁じている。ちょうどインドネシアで華人に対する抑圧が起こっており、危機感があった彼らは、この不安を払拭できる市民権規定が憲法で硬性化されることを支持したのである。言語問題に関しては、152条改定でマレー語を国語、公用語の地位と共に他のコミュニティの言語の使用と学習の継続を保障すると解釈した。国語での自由の制限は、一見するとマレー人本位であるように見えるが、同時に公用目的以外の目的での非マレー語の使用が認められたことでもあった。マレー人の特別な地位については、UMNOからは市民権の見返り的な部分があるのだが、一時的な救済措置だとMCAは説明している。UNMOはこの地位を決して誇りに思っていないこと、時が来れば自主的に削除するだろうという論理である。また、153条の実施方法について問題にすること(=議論)は可能であるという立場だった。華人社会を代表する企業家・専門家で構成する華人連絡委員会からもMCAと同様の理由で支持を得た。
インド系のMICも市民権を保障され、タミル語の維持も保証され、諸権利の実施問題を議論する自由は保証されているとし、野党によるセンシティヴ・イシュー(デリケートな問題)の利用を禁止することが可能になり、少数派のインド人の政治的影響力を保持することが可能になった。
野党のPPPとDAPは、自由民主主義の原則に反すると憲法改正法案に反対した。一方、PASとグラカンは一部に不満を残すものの賛成した。71年2月の下院では126対17で可決した。
1972年、UMNO、MCA、MICからなる連盟党に、グラカン、PAS、PPPを加えた国民戦線(BN)が成立する。社会に対する制御の拡大という視点で語られることが多いが、著者は、連合政権下での旧野党と少数派民族の思惑(マレー系の強制を避け、自らの政策を具現化できる可能性)も評価すべきだとしている。
この71年憲法改正を、著者は『民族間の箍(たが)のはめ合い憲法改正』だったと総括している。マレー人側は、死活問題を市民権再検査や雇用法などの非マレー系へのゆさぶりで守り抜いた。一方非マレー系は、ブミプトラの特別な地位を保証することで、市民権とこれまでの経済活動の自由を保障された。国語問題では、非公用での華語・タミル語の使用。教育を硬性化した。これらデリケートな問題は、野党の存在意義を失わせ、連合政権にBNに取り込んだ。野党も連合政権に参加するという利も得たわけだ。
http://blog.goo.ne.jp/gyp-vision/e/52 415d4f7d36c385343f6a399df601f1 昔々、私がまだ中学生だった頃、春休みを利用して東京の親戚の家に遊びに行ったことがある。当時、私はクラシック音楽に凝っていたのだが、早稲...