2013年12月28日土曜日

「命のビザ、遥かなる旅路」

敦賀ムゼウムで購入した新書を2日間で一気に読んだ。妻が待ち構えていたこともあったが、文章が読みやすく、内容もなかなか興味深かったのだ。著者の北出 明氏は観光畑の方で、元上司の大迫辰夫氏が、ウラジオストクから敦賀まで、杉原サバイバーのユダヤ難民を運んだ天草丸で、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTB)の添乗斡旋をしていたという秘話を知ったことから、話は始まる。

副題にあるように、杉原千畝氏がビザを発行しただけでは、難民は救われなかった。彼らを支えた日本人たちがいたわけだ。この本には、「あと10年早ければ…」という定句が何度も登場する。著者は大迫氏のアルバムに残されたユダヤ難民7名の写真を元に、取材の旅に出る。結局、その人たちの所在は不明のままであった。大迫氏が世話をした難民の人々も、存命なのは、当時幼い子供だった人々だけで、それも80代・90代という高齢である。しかし、アメリカでの調査で得たエピソードは貴重なものだし、様々な日本の人々とのつながりも明らかになっていく。

敦賀の人々の関わりにも多くの紙面がさかれていた。敦賀より滞在時間が長かった神戸でも貴重な資料を発掘していく。中でも山形裕子さんのユダヤ難民のことを詠んだ歌が最も印象的だった。

夏の朝近所の大きな洋館にがやがや見知らぬ外人の列
あれみんなドイツ語やけどユダヤだよ小さな声でジキオンが言う
汽車で来たユダヤはしばらくここに住むその後どこかへ行くんだそうだ
暑い日も洗濯ものも干せないで なに食べてんのユダヤの人ら
夕立に駆け込んで来たユダヤの子 破(わ)れた西瓜を抱いて
麦茶よと母さんの出すコップを受けてダンケシェーンとごくごく干した
八つかなあ九つかなあとおばあちゃんピンクの長い手足眺める
日本でも間なしにユダヤを抑えるぞ眉をひそめた父さんが言う
早うお逃げ 早うお逃げおばあちゃんユダヤの子供に蛇の目持たせた
扉を押して出て来る出て来る早朝の道路に黒いユダヤの衆が
疵だらけの革のトランク重そうなユダヤの大人は冬服姿
夕立のピンクの少年も長いズボンに長袖のシャツ
おばあちゃんのあげた蛇の目が見当たらぬ 置いてゆくのかユダヤの人よ

あえて詳しいコメントはしないでおこうと思う。いい本だった。

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