毎日新聞の今日の朝刊・『時代の風』に、山極寿一京大教授の「人間の危機管理とは何か」と題された一文が載っていた。一読して全く同感であると思ったのでエントリーしておきたい。
大震災以来危機管理のあり方が盛んに議論されている。福島原発の汚染水漏れや情報隠し、ホテルやレストランの食事の意図的な表示の張り替えなど、人々は不安を募らせている。なぜこのような間違いが起こるのか。山極先生は、「それは人々が自分のことばかりに関心を向け、他人の安全や安心に気配りしなくなったからではないだろうか。」と言われている。
日本ではつい最近まで他人へのきくばりが自分の安全や幸福を確保すると考えていた。危機管理でも同じだった。なぜ、こういう他人への配慮が失われたのか。山極先生は「世の中が自分中心に動いて他人をおもんばかることが不効率で不確実に見えるからである。」とし、サルの世界を例にとって示される。個体の利益を最大化できるためにサルは群れをつくる。だが群れが大きすぎるとそれを守れない。サルは自分の利益を減らしてまで仲間を助けようとしない。今回の福島の事故は、人々の安全よりも自社の利益、自分の利益を優先する考えがもたらした危機ではないか。「言うならば巨大な科学技術をサルの心で操ったことによる危機」だと言われている。
「アマルティア=センは、現代の課題を「人間の安全保障」においた。かつての安全保障は国家のものだった。しかし国家は国の利益を優先ために、人間の安全保障を犠牲にすることがある。国家ではなく人間を中心に考えることが必要だと言うのだ。」
「今の日本に必要なのは機械でも技術でもなく人間の心だという事実に立ち返ることである。」「危機管理の近道は私たちの心の中にあるのだと思う。」その一言、一言が地球市民を育成しようと考えている私には箴言である。
2013年12月1日日曜日
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