師走の残り紅葉 京大稲森財団記念館 |
講義は大きく二部構成で行われた。ここ10年ほどの間に、アフリカの経済は大きく変化したこと。すなわち、貧困と飢餓の大陸というイメージから、資源大国、経済成長著しい投資先へという変化である。このあたりについては、10年ほど開発経済学をやってきた私にとっても十分すぎるほど理解できたつもりだ。アフリカ開発経済学の定説は今や、先進国の援助は必ずしもアフリカの開発を進めるものではないこと。ガバナンスや経済政策などの「人為的」失敗が発展を阻害していること、の2つに一応収束しつつあるらしい。
しかし、現場に長くおられた大林先生は、こういうマクロで数値的なアフリカの発展には懐疑的な立場をとられている。私が面白いなと思ったのは、サブ=サハラ・アフリカの貧困者の割合は減少していることは確かだが、経済成長率のわりに現地の人々の実感が異なることをNGOの資料(アフロバロメーターによる37カ国の調査)で示された。ここ数年で経済が悪くなったと答えたケニア人は57%、タンザニアでも51%であったそうだ。(後の質問の時間で)「成長」と「発展」は違うのだと、面白い例を示していただいた。身長や体重が増えるのが「成長」であるとすれば、「発展」は大人になることと言えるのではないか。…なるほど。箴言。
第一部のまとめとしては、①ガバナンスが重要であること②なぜ成長に転じたのか、成長は持続するのかは今後の課題③貧困を減らし格差を縮小することが求められているの三点を示され、およそ現在の開発経済学者の結論だとされた。私もこの三点はよく理解できるところである。
第二部は、大林先生が特に実感されているアフリカ人の「内発的発展」の強さをいかに生かし、アフリカ人による未来の選択を行ううえで、いかにその環境を整える努力を日本を始めとした先進国が協力していくかという話である。大林先生は、もともと1960年頃の各国の独立前後から、パンアフリカニズム、ネグリチュードと呼ばれたアフリカ統一への理想に燃えた時期から、アフリカの内発的発展の系譜があるのだと言われた。なるほど。その後、多くの国で独裁が行われ、迷走した時代にも、自らのアイデンティティの模索や尊厳の回復を求め、マンデラ氏らのアパルトヘイト廃止などに代表される民主化が進む中で、アフリカ・ルネッサンスと言える「内発的」な発展への運動が拡大していったと考えておられる。それは、具体的には、地域の文化・自然に根ざし変化に柔軟に立ち向かうコミュニティの自立的営為であり、市民運動組織の勃興である、と。
大林先生は、舩田クラーセンさやか先生とも懇意であられるらしく、モザンビークの話題も飛び出した。例のブラジルと日本がからむODA・南南協力の大農場化の話である。日本人は、援助の実態が見えないし、現地の人々の声が届かない現状を、非常に危惧されていた。要は、現地の「内発的発展」をささえる市民運動と連携すること、その「内発的発展」=アフリカのオーナーシップをサポートすることだと主張された。
具体的には、政治的には平和と安全やガバナンスの改善、参加と民主主義の拡大、経済的には物価の安定や市場の発達、公的&民間サービスの提供や小規模インフラ整備、農業では適切な農業政策と資源管理権の小農への返還、文化面では内発的発展の権利の承認、文化伝統の振興などである。
「私は純粋な経済学者ではない。」と自ら言われていた大林先生の講義。なかなか面白かったのである。日本の先生方以外にも、アマルティア=セン、ジェフリー・サックス、ポール・コリアー、そしてダンビサ=モヨといった世界をリードする著作を読んできたが、これからさらに新しい視点の開発経済学が出てきて新たな「定説」を生んでいくのだろう。しっかりとついて行かねばと思った次第。
大林稔先生、重田先生を始め京大の研究生の皆様、今日もありがとうございました。勉強になりました。感謝申し上げます。
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