2013年12月22日日曜日

「八重の桜」の腕相撲考

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NHKの大河ドラマ「八重の桜」が終わって、ちょうど一週間になる。日曜の夜の楽しみが1つ消えたわけだ。私は幕末維新史には大いに興味がある。今回の「八重の桜」は会津から見た幕末維新史であるところが、実に面白かった。もちろんフィクションも多数含まれているが、まあ目くじら立てずに全話見続けたのだった。

鶴ヶ城の決戦は最大の見せ場であると思うが、もし、最も印象に残ったシーンは?と聞かれたら、フィクションであることを十分認識したうえで、大山巌と山川捨松の結婚にかかわる、八重と大山巌の腕相撲のシーンだと答える。薩摩の大山と、会津家老の家の出身で幼くしてアメリカ留学した捨松が結婚したことは史実として知っていた。これをうまく結びつけた話だ。

捨松が、仇敵薩摩(会津は薩摩に裏切られて京を追い出され、言われなき朝敵にされる。)の雄、大山巌に求婚されるのだが、山川家は大反対である。いわゆる藩の人間だという意識のほうが、国民国家意識(日本人だという認識)に勝っているわけだ。鹿鳴館時代の頃の話である。大山は国際的なマナーを持つパートナーを探しており、留学経験もある国際派として捨松に目をつけたわけだ。結局、山川家を訪ねてきた八重が、「腕相撲で勝負をつけんべ。」と大山に挑む。レフェリーが新島襄というわけだ。優勢に進めていた八重が、捨松の「大山様」という思慕の情を直感的に悟り負けるという話。この結果、捨松の結婚が認められる。

どう考えてもフィクションで、他のブログでギャグだとコケおろされていたりするが、私はこのシーン以後、会津人、特に八重が国民国家的な日本人に変化していくように思えている。もちろん、朝敵という汚名はなかなか晴れないが…。このドラマの脚本が訴えたいことは、単に八重のスーパーウーマンぶりだけではないだろう。会津という藩が、長い時間をかけて国民国家の一員になっていく、それは、皇族以外に初めて勲章を受けた女性としての八重だけでなく、京都府政に尽力した山本覚馬や山川健次郎(後の東大総長になる。捨松の兄。)ら各個人の汚名をはらす努力もあったであろうし、やがて表に出る孝明天皇の宸翰(しんかん:松平容保への信頼を明かした書)の影響もあるだろう。

しかし、最終的には恨みを超克する精神と、長い時間がなしたものだったように思える。この腕相撲以後のドラマの展開はそう動いていると思うのだ。

そうそう、全く別の視点で「八重の桜」を見て驚いたこと。それは、徳富蘇峰が同志社出身だとことである。倫理で教える徳富蘇峰は、明治・大正・昭和の三代でジャーナリストとして、権力側から大きな影響を社会に与えた人物くらいの認識しかなかった。改めて調べてみたが、若い頃はともかく、壮年期から老年期にかけては、やはり権力側に大きく変化している。うーん。とはいえ、自由に生きる人材を育てようとした新島襄は、きっと教え子を許すような気がするのだ。

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