2010年7月7日水曜日
梅棹忠夫氏の逝去を惜しむ
梅棹 忠夫氏が先日他界された。私はもちろんお会いしたこともない。『文明の生態史観』は、名著であることも知らず、なんとなく本屋で手に入れて読破した。昔々のことである。西欧と日本の共通点、特にイギリスとの共通点などの視点に目からウロコだったことを記憶している。<今日の画像は、その『文明の生態史観』の有名な模式図である。>また梅棹 忠夫氏は、万博公園にある民俗学博物館の初代館長というか創設者でもある。私は「みんぱく」が好きで、よく行く。うちの学年の遠足でも連れて行った。日本の博物館の中でも一級のものであると思う。(ただし、レプリカが多いのが悲しい。)
「みんぱく」を使って国際理解教育を行う取り組みもよく行われている。異文化理解や日本の民俗学の成果を知り、生徒に興味付をおこなうためには素晴らしい場所である。梅棹 忠夫氏の偉大な業績である。
昨日、仮想世界ゲームの考案者、名古屋大学の広瀬先生からメールをいただいた。ドイツから帰国してすぐ返信していただいたようである。感激である。18日には是非ともお迎えしたかったが、他のミッションがあるそうで、今回は来ていただけないとのことであった。残念だが、仕方がない。良い報告書を作り、お届けしたいと思うのである。
このブログの最初の読者であり、アフリカの都市の文化人類学研究者、荒熊氏が日本を脱出し現在パリであるそうだ。これからブルキナのワガに向かい、またワガのストリートチルドレンや、ムスリムとのフィールドワークをされるのであろう。
このところ、研究者=理論と、現場=実践の関わりについて考えることが多かった。こうしてみると、どちらがどうのこうのという問題ではないと思う次第である。うまく止揚することが重要なのだと痛感したのであった。
追記:どうも一昨日のコメントの機能がおかしい。今日見ると今度は哲平さんのコメントが消えているのである?!”ダッシュボード”(このブログの私用の編集機能のページ)には、私の3度も入れたコメントと会わせて4通入っているのだが…。哲平さん、すみません。コメント、どんどん入れて下さい。
追記の追記:あれ?!入ってる?!私の同じようなコメントも、じゃまくさいのでそのままにしておきます。
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万博公園は近所なのでよく行くのですが、民博には行ったことがなかったので、ぜひ足を運んでみたいです。
返信削除以下はコメントにしては長すぎる講演会の感想文です。
スティーヴン・ワイズ氏の講演は非常に興味深いものでした。彼が日本の学者と比べてはるかにスマートというわけではないのですが、西欧流の極端さを感じれました。
彼の議論によると、動物の権利が認められる動物はplactical autonomy(細かい説明は省きますが、自己認識能力などです)が、科学的に認められるかであり、それが認められる動物については人間と同じように、拘束や捕食をしてはならないとのことです。
というと日本人からすれば「また鯨とイルカの話か」と思うわけですが、彼はplactical autonomy が認められれば牛や豚や鶏すらも食べてはいけないと言うのです。たとえ牛食や豚食が伝統的に、文化的に、現在のところ認められているからといって、女性差別や黒人差別のように未来永劫変化しない問題だとは言えないからだそうです。
なにより面白いのは彼は学者ではなく、法律家なので、行動も実践的であり菜食主義者なのです。前提が間違っている可能性は残るにせよ、彼の考える前提が正しいとすれば自ずと結論はそうなり、例外なく、行動もそうなるといった論理は日本にはない気がします。自らの文化も平気で捨ててしまうような思考や行動の極端さが大変興味深かったです。
日本人ならば動物に権利を与えても、栄養の摂取のためであれば牛や豚は捕食してもうよいといった割といい加減な法律を作りそうなものです。
おもしろいですねえ。旧約聖書の天地創造では、神は”家畜”と”野を這うもの”という2種類を創造されたとあります。そういった欧米的価値観の真髄を簡単に捨てているわけですね。
返信削除文明史観的に言えば、肉食の伝統は、ヘブライズムが遊牧の民であったこと、ヨーロッパなどでは土地が痩せ、気候的に麦類しか栽培できない地方であったため、カロリー補給故のぎりぎりの選択であったわけです。
およそアメリカ人らしからぬ人だなあ。