2017年2月4日土曜日

佐藤優「大国の掟」を読むⅡ

eyjoo.com/gallery/img-russian
-orthodox-church-334.htm
昨年11月に帰国したときに購入した佐藤優氏の「大国の掟」(NHK出版新書/2016年11月10日発行)という新書本をずっとザックの中に放り込んだままになっていた。先日、それを発見して(笑)、一気に読み切った。前回のエントリー(昨年11月26日付ブログ参照)以来、かなり時間が経過してしまった。しかしながら、今日、エントリーしようと思ったのは、日本の開国について、なかなか面白い視点があったからである。

海洋国家である日本は、鎖国時代、4つの外交窓口を持っていた。まずは当時の最強の海洋国家だが、カトリックと違い布教する気がないカルヴァン派のオランダとの窓口=長崎である。さらに朝鮮との窓口=対馬。それに、清と貿易関係をもっていた琉球と蝦夷全域と、樺太や東シベリアとの交易を行っていた松前藩である。当時の日本としては、必要かつ十分なネットワークだったと佐藤優は言う。1850年代、この鎖国体制が崩れるのは周知の通り。アメリカに、かなり強引に開国させられるわけだが、アメリカが求めたのは「水・食糧・石炭」といったエネルギー供給と通商であって帝国主義的な侵略ではなかった。

ここで、佐藤優氏は面白い命題を掲げる。もし、ロシアと先に国交を開いてら?というのである。これも周知の通り、当時、ロシアも何度も開国を求めてきた。しかし、意外にも強硬ではなく、根室から長崎へとたらい回しにされながらも我慢強く交渉を求めてきた。佐藤優氏は、その理由をロシア正教のひろめ方と関係しているとする。ロシア正教は、その土地の土着の言葉で典礼を行い、その国の風俗を習慣に合わせていくという特徴を持つ。しかも、当時のロシアは日本人との接触が多く、大黒屋光太夫のような漂流民を保護し、日本語教育も行っていた。そこで、日本人の気質を考慮して、時間をかけて説得するという方法をとっていた。だとすると、巧妙に日本が取り込まれていくというシナリオもあり、フィンランドのような自治を認められるカタチでロシア帝国に取り込まれていたかもしれないというわけである。

佐藤優氏はこのようにも述べている。1850年代にアメリカと最初に国交を開いたことは、実は日本にとって幸運だったのではないか。ロシア帝国に組み込まれもしなかったし、イギリスが先に来ていたら植民地化された可能性もある。アメリカもあと20年遅れて来たとしても、フィリピンのように植民地化されていたかもしれない。なぜなら、アメリカは、日本を開国させた後、南北戦争で対外政策がストップしてしまったからである。70年代に入り、アメリカが帝国主義化した時には、すでに日本は体制を変換することができていたというわけだ。

ロシア正教の布教が、その土地の言語・風俗・習慣に合わせていくという視点で日本の開国を見るという方法、実に面白い。カトリシズムやカルバン派とも違う。いつもながら、こういうキリスト教理解、さらにもっと広く言えば、一神教の個々の宗派的な理解は、社会科学を教える上で、極めて重要だと思うのだ。

2017年2月3日金曜日

佐藤優 トランプと詩編133

https://www.bibliatodo.com/la-biblia/kadosh-israelita-mesianica/salmos-133
佐藤優氏が、講演会で、トランプ政権の読み方について語っている。WEB上で見つけたのだが、ある意味、衝撃的な話であった。トランプ氏はイスラエル中心主義者だと言うのである。親族(娘婿:長女は改宗/孫も)にユダヤ人がいること、エルサレムに大使館を移す件など、親イスラエル的なことは承知していたが、東洋経済の高橋浩祐氏のこの記事を読んで、私は背筋がぞっとした。

佐藤優氏が指摘するのは、就任演説中で引用した、旧約聖書の詩編133。「神の民が団結して生きることができたら、どれほどすばらしくうれしいことでしょうか。」これは、バビロン捕囚から解放されたユダヤ人の喜びの歌であるらしい。佐藤優氏によれば、(神学に詳しい)玄人が聞いたらみんなわかる詩で、ユダヤ教とキリスト教で神に基づく世界支配は、イスラエルから広められる、ダビデ王を理想とした救世主的信仰(メシアニズム)を典型的にした、イスラエル中心主義の内容になっているというのだ。

アメリカでは、クリスチャンシオニズムがかねてから根強い。(ブッシュ政権を支えたネオコンサティブは、ユダヤ人をキリスト教徒にすることが天命だと考えているが故にイスラエルを守ろうとしている人々の別称である。)トランプ氏のイスラエル中心主義は、ブッシュ以上に強固な信仰をバネにしている可能性が強い。

ところで、彼はカルヴァン派の長老派(ブレスビテリアン)の信仰に熱心である。予定説に基づいているので、「試練にすごく強くなる。どんなにひどいことにあっても負けない。神様が与えた試練だから最後に勝利すると決まっていると考える。問題はどういう勝利の仕方なのか、と考える。」と佐藤優氏の言。さらに「(彼は)自分が神様に選ばれたときっと思っている。」

就任式前、トランプ氏は、テキサスの牧師の説教を受けている。その中で、エルサレムの城壁を再建したネヘミヤにたとえられたたらしい。「壁を建設することに神は反対していない。ネヘミヤは、決して自らの批判者に妨害させることを許さなかった。」ここで言われる批判者はマスコミをさすようである。だから、(民主主義のテーゼ:マスコミによる批判の意義をぶっとばして)NYタイムズをあそこまで罵倒できるわけだ。

…うーん。個人の信仰の問題だとは思うが、権力者が、宗教者の強い影響を受けすぎるのはどうかと思う。大統領は極めて公人として振る舞うのが筋だ。同時に弾劾されそうな韓国の朴大統領を思わず連想してしまった。

…彼のツィートに、世界中が揺り動かされている。まるで預言者のコトバではないか。全く良くできた演出である。トランプ氏のこういう私的な部分と、大統領という公的な部分の線引きが出来ていない人格的稚拙さに、強烈な違和感がある。

…要するに、選民思想を強く持ったイスラエルの強硬右派の首相・ネタニヤフがアメリカ大統領になったようなものである。しかも、(歴史用語である)王権神授説っぽくなっている。

…そうなると、民主主義の原点・法の支配(人定法)より、神のコトバ(神定法)こそが重要視される。自分に都合の良い政策は神の認めたことと信じ込むことが可能だ。ならば、イスラムに対して容赦ない宗教戦争を始めても、(おそらく他の偽善的な理由をつけるだろうが)神の意志と、片づけられてしまう。
http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-3036.html
…まるで、中世である。アメリカは、ポスト=モダン(近代国家を超えたグローバル国家)から、一気にプレ=モダン(近代国家以前)に逆流していくのであろうか。そうならば、オーストラリアの首相に暴言を吐こうと、それは神の言になり許される。イランに軍事的制裁を行おうと、それは神の行いになり許される。なんでもありである。

…民主主義の総本山のアメリカが音をたてて崩れていく。そして第5次中東戦争の危機が間近に迫ってくる。これが私の背筋がぞっとした理由である。

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/

妻の一時帰国

今朝、妻が一時帰国の途に就いた。AM8:00発のエアアジア便である。朝、4:30に予約していたタクシーで空港に向かい、先ほど1人で帰宅した。

今回の妻の一時帰国の最大の目的は、私の退職金も含めた納税の処理である。さらに、妻自身の半年に一度の通院、運転免許の切り替えといった理由もある。それらの処理にどれくらいかかるのかわからないが、「まあ2~3週間」というのが妻の言である。そういうわけで、当分はまた一人でやっていかねばならない。

マレーシアでの最初の一人暮らしから考えると、妻が来て以来、生活の改善はかなり進んだ。外食ばっかりだったが、鍋やフライパン、食器もあるし、ガスも使えるようになった。少なくともインスタントラーメンや目玉焼きくらいは自分で作れる。ドラゴンフルーツもパパイヤも自分で剥けるようになった。水もアルカリイオン水になったし、掃除機もある。2~3週間なら、十分やっていけるだろうとタカをくくっている。

とはいえ、昨夜、炊いたご飯をおにぎりにして、7個くらい冷凍してくれた。また玄関のドアには、出かけるときの注意書きが貼られている。
1.電気(スタンド)は消しましたか?トイレ、台所、部屋は?
2.水道はとまってますか?(台所、洗面所、トイレ、お風呂)
3.ガスは消えてますか?換気扇も
4.財布は持ちましたか?(RM1札も)
5.スマホは入れましたか?
7.鍵は持ちましたか?
8.タオル、ちびタオル、ティッシュは持ちましたか?
 ゆっくり、落ち着いて、冷静に。
*1の電気スタンドとは、A先生から譲り受けたもので、PCの作業をする際の照明に使っているもの。就寝時によく消し忘れるので、妻に怒られていた。(笑)
*4の財布はともかく、RM1札とは、650番バスに乗るための必需品。釣りをもらう事はありえない故。
*8のちびタオルとは、ズボンのポケットに忍ばせるハンカチのようなタオル。関空でT君から贈られたものをずっと愛用している。

まるで、小学生のようだが、昨年顔面に傷を負ったこともあって、妻の心配性(症)はさらに悪化したようだ。ありがたいことである。さて、朝食をつくろうと思う。とりあえず、トーストかな。

2017年2月2日木曜日

キズル・カーン氏に応える。

http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im6234070
大統領選挙の時、イスラム排斥を訴えるトランプ氏に、イスラム教徒で派遣先のイラクでテロに倒れた長男をもつキズル・カーン夫妻は、ずいぶんと侮辱された。このニュースにも震撼したが、その彼が、日本人にもこう呼びかけている。(2日9:15/おそらく日本時間)
「日本の方もこの現状を変えることができます。(戦時中のの日系人の強制収容所で)非人間的な行いに苦しんだからこそ、その声は重要なのです。ですから、共に立ち上がり声をあげましょう。」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2974281.html

ほんと微力ではあるけれど、地球市民として、一個人、一日本人として、キズル・カーン氏の呼びかけに応えようと思う。幸い、このブログは世界に発信され、様々な国の人々の目にもふれている。

今回の大統領令は、何から何までおかしい。テロから国民を守るためと称して、イラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、イエメンの7ヶ国の入国を90日間禁止したものだが、米国内で9.11以降、テロ行為を企てた国の人々161人中、対象の7ヶ国の出身者は11人のみ。

まず批判したいのは、(テロ犯はこの国々の人々であるという)ウソで固めた思い込みの政策だということ。本当は、選挙戦中に公約したイスラム系全ての入国禁止にしたかったが、とりあえず、オバマ政権時代に共和党が示した「懸念対象国」とされた、現在内戦や様々な問題の起きている国を、単純に指定したとしか思えない。ここには、論理的な理由もない。思いつきだ。それにしても、就任式の人出の数以来、トランプ政権はウソばかりついている。まさに、POST TRUTH(真実は重要ではない)である。

そして、それは、誰のため?と問いかけたい。(わけのわからない)公約を実行する強きリーダーとしての自分を演出するためではないのか?(事前準備が長くかかると反対されることをおそれ)側近だけで秘密裏に進め、(急な変更で)現場が大混乱しようと、知ったことではないという姿勢は、まさに無責任極まりない。こういう政策をうつ短慮な人間が、世界に最も大きな影響をもち、核ミサイルの発射をも握るアメリカ合衆国大統領のイスに座るべきではない。

次に、キズル・カーン氏が、イスラム排斥を批判する時に持ち出したアメリカ合衆国憲法について、述べたい。独立時、バージニア王朝と呼ばれた歴代大統領集団(父祖)は、ついぞ国教を定めなかった。信教の自由を保障したのである。当時は、当然ながら英国教会を主としたプロテスタントが多数派であったし、合衆国憲法の最後には、キススト紀元1787年とあるが、憲法本文には、キリスト教の「キ」の字も出てこない。しかも、その後、憲法修正第一条で、「国教を禁止し、国教を規定し信教の自由な行為を禁止する法律の制定を連邦議会に禁じる。」としたのである。もちろん、当時はイスラム教徒も仏教ともヒンドゥー教徒もその念頭にはなかったと思われるが、そういう多くの国からの移民を、この信教の自由を高らかに謳った憲法は集めることに成功した。アメリカを代表するIT企業が、今回の大統領令に大慌てしたのも、元をたどれば、そういう宗教的寛容さと人権擁護が移民を誘導したからだ。彼とその取り巻きは、そういうアメリカの実体をも全く無視している。

そう、多くの人々が指摘するようにアメリカは移民の国である。そして人権を擁護する民主主義の総本山的存在である。ところが、その信用は、浅はかな大統領令によって、崩れ去った。就任後10日にしてこの事態だ。すでに「弾劾」というコトバがWEB上で語られ始めている。一方で、トランプ氏は、社説で批判したNYタイムズを買収か廃刊すべきだと攻撃している。マスコミが権力を批判するのは、民主主義の大原則である。信じられない。批判を封じ込める政治は、独裁である。民主主義の総本山で、このような暴言がゆるされるのか、と私は思う。日本を民主主義化したのは、アメリカだが、日本政府の要人がそんな暴言を吐いたら、ただではすまない。

しかし不思議なことに、この大統領令を51%のアメリカ人が支持しているらしい。アメリカは、極めて危険な道を歩んでいる。当然、いやおうなしに世界が巻き込まれていく。

私はブティストであるが、マレーシアに来て、ムスリムの学生も教えている。彼らは、現在はアメリカに入国できるが、これからどうなるかわからない。日本人である私もいずれ否定されるかもしれない。そうなる前に、アメリカの知性が動き、その責任能力を果たしてくれることを信じたい。

韓国人の反日の精神構造

http://polandball.blog.fc2.com/
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韓国人の一般的な反日行動を理解するために、かなり重要だと思われるWEB記事を発見した。今回紹介するのは、心理学的な面からの分析である。分析しているのは拓殖大学教授の呉善花氏。韓国・済州島出身で日本に帰化した方だ。「別冊正論」からの転載のようで、その辺は少し気になるし、WEB記事にしてはかなり長い論文なのでしんどいが、一読しておく価値はあると思う。タイトルは、「恨と火病と疑似イノセンスと-異常な反日行為と心の病」である。以下、要約してみた。
http://ironna.jp/article/1348?p=1

東日本大震災の直後、韓国では「竹島は日本の領土である」と書かれた教科書が検定合格したのを受けて、義援金募集活動を中止、全額返還や独島支援団体や慰安婦支援団体に振り向ける自治体が続出した。同年9月のサッカーの試合で「日本の大地震をお祝いします」と日本語で書かれた横断幕がかかげられた。その「神経を疑う」という報道が諸国に見られた。韓国人の反日行為は常軌を逸している。

これらの行為は、「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」によって自らの精神衛生を維持している「代償的疑似健常者」によるものだ、と呉氏は指摘する。

日本人に起きやすい心の病は「内因性単極性鬱病」(メランコリー)で、几帳面・仕事熱心・堅実・清潔・権威と秩序の尊重・保守的・律儀などの性格的特徴に起因する。これは日本人の普遍的な特徴だといえる。それに対し、韓国人に顕著な心の病は「火病」(ファッピョン)である。「お腹の中に火の玉があがってくる」ような、怒りを抑制しすぎたことによって起こる心身の不調(不安・鬱病・身体異常が複合的に現れる)である。

この火病の原因を韓国の精神科医キム・ジョンウ氏は、「恨」だとする。この「恨」は、韓国伝統の独特な情緒で、達成したいが達成できない自分の内部にある、ある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象を持たないときは自分に対する「嘆き」、対象があるときは「うらみ」となり、相手に激しくぶつけることになっていく。

韓国の「恨」は、これがあるから強く生きていける、バネとして未来を切り開くものである。これを「恨を解く」といい、韓国の代表的な歌・アリランはそれを歌ったものだ。しかし、一方で「自分は何の罪もない正しい善なる者なのに、誰かのせいで自分が恵まれていない。」という自己の純化(イノセンス:innocence)と他者への責任転嫁で、ストレスを解消しあうことが良く行われる。日本人には理解しがたいだろうがと、呉氏は断った上で、このイノセンス=幼児性に韓国人がしがみつくのは、韓国社会の権力による不条理が排ガスのように充満しているからで、その防御壁なのだと指摘する。

幼児のままに固着してしまうイノセンスで自分を守ろうとする韓国人は、人間なら誰もが持つ不道徳性や反秩序性といった破壊的な力を自分の中に認めようとしないし、他者に対しては道徳的な完全性を強く求めて批判する。

韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、「火病」や、自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まった人格障害と近似した心性を内部に抱えた「代償的疑似健常者」が多数生み出されているからではないか。

…この記事の最後に、儒教・朱子学が韓国社会へ与えた影響も書かれている。勧善懲悪的なスタンスなどが、さらに心の内面を圧迫するというのである。同じ儒教圏でありながら、日本は、その辺八百万の神の影響下にあって、様々な考えを許容する。大きな相違である。

…私は、何度も繰り返すが、「いじめられる側の論理」から、韓国の反日行動を理解し、共生を模索すべきだと信じている。だが、この記事で日本人と韓国人の心理学的に見た相違が明らかになるにつれ、共生への道はかなりの困難を伴う、という風に感じた。まさに近くて遠い国なのである。理解することが難しいと感じる、これもまた重要な異文化理解だと私は思う。

2017年2月1日水曜日

マレーシアの民族的間合い2

著者HPより ペナン島の町並み
https://sites.google.com/site/yushiutakaweb/nyusu
「住まいと暮らしからみる多民族社会マレーシア」(宇高雄志著/南船北馬舎)の書評(1月10日付ブログ参照)の続編である。1月はエントリーする事が多くて、延ばし延ばしになっていた。さきほど、エントリーした中で、花火に見る民族の住み分けについて触れた。むりやり関連づけてエントリーしておこうかと思う。

ブミプトラ(マレー優先)政策について、非マレー系の人々はたしかに不利益をこうむっているといえる。しかし、この政策による国富の拡大は、非マレー系の間でも共感されるものになってている。ある中国系ビジネスマンの言。「マレーシアはいい国だよ。中国に戻りたい?まさか。そんなことは思ったことはない。私たちにとって大切なことは、家族があって、仕事があって、住む場所があって、友人がいる。いいところだよ。もっとも、マレーシアに住むというよりも、この街に住むということかな。子供たちはオーストラリアと台湾の学校へ行った。退職したら子供たちのところに行ってもいいし、この街に住むのもいい。」
中国系マレーシア人は、今や華僑ではなく、定住を決意した国の一員としての理解が自然になってきている。社会的な違和感を抱きながらも、成長を続けるマレーシア社会の勢いを評価し、それが自らがマレーシアに生き続ける根拠であるという認識がある、との著者の指摘、なるほどである。

ある企業経営者の言。「マレーシアは民族ではなく経済力で分かれている。経済成長から取り残された者がいる。マレー系が貧しいだけではない。インド系にも中国系にも忘れられた人々がいる。今は経済成長が続いているので民族関係は穏やかだが、貧しい人々のあいだでは低賃金できつい仕事をいまだに奪い合っている。」
「国家」を背景に見立てたサクセスストーリーの共有は国民意識を芽生えさせた。メイ・サーティーン(民族対立が暴力化した5月13日事件)の記憶を負の遺産として経済の不安定こそが民族関係に影を落とす、そうした危機感が国民の意識に深く刻まれているかのようである。この著者の指摘も、大いに頷いてしまった。

ある識者の言。「政府のやり方は巧妙だと思う。民族間に横たわる問題をすべて経済の課題に置き換えた。国民生活の心の領域まで踏み込むことはなかった。信仰や文化についても多元主義を貫いた。ブミプトラ政策も現実的だと思う。民族間の格差や異質さを根源的には市場経済の神の手にゆだねたのだからね。」
国家の成功体験を個人にシンクロナイズさせ、それに共感する場として都市空間が整備された。プトラジャヤ、サイバージャヤの2つの未来都市がそのシンボルとなっているという指摘にも、10ヶ月間の滞在で、なるほどなあ、そういうことか、という感慨がある。

それぞれ鋭い指摘であると私は思う。この本は2008年に発行されている。以来10年弱の月日が流れているが、このマレーシアの多文化社会を経済が支えているという社会構造自体は大きく変化していないと私は思う。その是非を問う気など私にはないが、マレーシアの多文化共生を考える上で極めて示唆的な内容であった。いい本だった。こういう本との出会いに感謝である。

ちなみに、この本の著者は建築や都市環境の専門家(兵庫県立大学の教授)で、冒頭、ペナン島のショップハウスの話が詳しく書かれている。ペナン島行の前にそのあたりを再読するつもりである。成長著しいマレーシアもいいが、古き良きマレーシアもいい。

ペナン島行の準備

セントラル駅へ続くモールの飾り付け あっと驚いた
2月に入った。そろそろ旧正月も(木曜日くらいで)終わるらしい。毎夜、大音響の花火に悩まされているが、もう少しで終わるかと思うとほっとする。たしかオカネのかけ方=迫力がマレー系やインド系とは段違いである。旧正月の花火は、我がタマンデサの中央部の公園あたりで打ち上げているようで、私の住処からは全く見えない。大砲のような轟音と前のコンドに反射する光でしか確認できない。私の住処から見える地域(タマンデサより西にあたる)にはあまり華人は住んでいないようだ。各民族の正月と花火ウォッチングで、華人とマレー系、インド系の微妙な「住みわけ」を実感する次第。

一方、今日は、連邦直轄市デーで休日である。(IBTはスクールホリデー中なのであんまり関係ないのだが…。)クアラルンプール中に連邦直轄市の旗が掲げられている。連邦直轄市というのは、クアラルンプールと行政上の首都プトラジャヤ(ともにスランゴール州から分離)とボルネオ島のサバ州にあるラブアンの3都市のことで、共通の旗と歌をもっている。(3都市は、それぞれは違う市旗を定めているようだ。)この連邦直轄市、他の13州と同格で、政府の連邦直轄省が統治していて、当然大臣もいる。なかなかややこしい。(画像は、連邦直轄市の旗。中央にあるのは国章。)

ところで、閑話休題。来月になったら、妻とペナン島に行こうか、と相談していた。調べてみると、そのアクセス方法にはいろいろあった。まずは航空機。エアアジアで、KLIA2(空港)からペナンまではたった1時間。料金はRM35。うーん、安い。日本円に換算すると1000円くらいである。ただし、空港までのタクシー代(約1時間)がRM80かかるので、1人RM75くらいになる。まあ、それでもメチャクチャ安いが…。一方バスはもっと安い。しかしかなり長時間(7時間くらい)になる。これは年齢と時間的余裕(1泊2日のプラン)を考えてパス。

もうひとつの方法が、鉄道とフェリーである。KLの起点はセントラル駅。650番のバスで直行できる。(運賃はRM1)そこからペナン島の入り口の都市バタワースまで特急列車がある。9時出発で着くのが13:00くらい。4時間の旅となる。そこからフェリーで15分(RM0.6)でジョージタウンに着くらしい。で、その鉄道の料金は、RM79。と、いうわけで、飛行機と鉄道、どちらもそんなに料金に差はないことがわかった。ならば、「旅愁」というメリットも加味して、往路は鉄道、復路は航空機というチョイスになったのだった。
セントラル駅の長距離線の切符売り売り場
昨日、妻とセントラル駅までチケットを買いに行った。(オンラインでも購入が可能らしいが、全て英語だし自信がない。)セントラル駅のスタッフは、私の知る限りKL内で、最も親切である。なんやかんや迷いながらも、チケット売り場までたどり着き、30分強待つことになったが、無事チケットを購入できたのだった。ここのスタッフも当然極めて親切に対応してくれた。

復路のエアアジアも、少し安めのホテル(2人で1泊2500円くらい+税/でも三つ星。)も予約し終えて、ちょっとウキウキ。妻は近々一時帰国するが、その後の楽しみができたわけである。