まず、東南アジアでTFR(合計特殊出生率)が急速低下していることから著者は論じている。TFRとは、簡単に言うと、女性が一生で出産する人数である。1970年ごろまでは、5~7人だったが、2000年になると2~3人になっている。ベトナムでは、二人っ子政策を推し進めていたが、現在はFTRが急激に下がり、政府は見直しを進めているが、経済が順調に発展すれば、いずれ日本やタイのようになるだろうという見通しを記している。
このTFRの変化は、衛生環境や医学の進歩によって、多産多死ではなく成人する子供が増え(日本では大正期にあたる)、多産少死の時代になり、人口爆発が起こる。さらに少産少死に移行するという理論から導かれてきた。筆者は、これだけでは説明できないと言う。アジアはコメを栽培してきた。単位面積当たりの収穫量が小麦などより多い優れた農作物である。しかし一方で多くの労働力を必要とする。日本では1950年代、東南アジアでは1980年代に緑の革命が起こり、農業生産量が急激に増加した。人口が多産少死になっても、食糧は充足されたが、農業従事者にとっては必ずしも喜ばしいことではなかった。恒常的に食糧が余ってきたのだ。そこで、都市化が進むことになる。農業はもうからない仕事になってしまったのだ。日本では、大正末期に農業生産効率があがり、このような現象が起こる。(昭和初期の農村疲弊)日中戦争が起こり、多くの農民が招集され、食糧が不足がちになると価格が高騰し農村は蘇った。しかし、戦後不足したコメはは余るようになり減反政策を生んだ。東南アジアでは、多くの若者が都市に出て、農村は過疎化していく現象がみられる。保守的な農村を離れ、都市にでた女性の地位は急激に上昇する。女性の自立が東南アジアでも始まっているのである。
…著者は、多産多死→多産少死→少産少死を、コメ栽培のアジア→農業生産技術の進歩→食糧余剰→都市化と農村の疲弊→都市における女性の自立という図式で説明しているわけだ。私はマレーシアにあって、このような現象を実感してきた。同じような住宅がKL各地にあり、地方から都市に出てきたマレー系の人々のための公団住宅だとわかった。現在マレーシアの都市人口は7割。(インドネシアやタイも5割を超えている)女性が頑張っている。しかも、マレーシアの女性は強いし、男性は女性にすこぶる優しい。(笑)
都市化に伴って、地価が上昇する。東南アジアでも日本同様のことが起こっている。ところで、欧米の農村地帯の人口は希薄である。田舎に住むことが好まれることもあるが、アジアほどの急激な都市化は起こらない。コメを作るアジアの人々は都市化の中にあっても濃密な人間関係を作り上げていく。約束を守らない人間は村にいれなくなるという精神風土は、都会に密集することを好むという見解を示している。
さて著者は、いよいよ本題に入る。生産人口(15~64歳)1人で、何人の子供(14歳以下)や老人(65歳以上)を扶養しているかを「扶養率」として、面白い視点を提供しているのだ。日本の1950年代は0.67。1990年は最も低く、0.44。バブル崩壊後、65歳以上が増加し、2020年には0.69。扶養率の上昇し始め、日本は失われた10年とも20年ともいわれる経済成長なき時代に突入した。2050年には、0.97という恐ろしい数字になる。東南アジアを扶養率の変化で見ると、タイは1970年に0.90だったが、2010年には0.39となり急速に低下、これがタイの経済発展をもたらした。タイでも高齢化が進み2050年には0.72となり、著者はタイの経済が今後大きく発展しないとみる。ベトナムも1970年に0.97だったが、2010年には0.43まで低下、その後上昇に転じているがタイほど急激ではない。2050年でも0.60にとどまりそうで、ベトナム経済はタイより20年遅れたが、その成長は2040年ごろまで続くだろうという見方を示している。
…この著者の「扶養率」という視点、実に面白い。残念ながらマレーシアの扶養率は示されていなかったが、F42で経済学や政策学を学ぶ学生諸君には、マレーシア政府の統計資料を読み解いて、是非グラフ化してみて欲しい。きっと役立つと思うよ。
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