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さらに、WWⅡの最中、日本はベトナムに進駐(北部仏印進駐)している。これは、日中戦争で重慶に逃げ込んだ蒋介石の国民党政府への米英の援助物資がハイフォン港から入っていたからで、援助ルートを遮断するためであった。当時のフランスはドイツに敗北し、ナチス傀儡のヴィシー政権下。火事場泥棒的な進出であった。さらに、ブルネイやパレンバンの石油を得るための制空権確保を狙って、ベトナム南部に進駐(南部仏印進駐)する。サイゴン(現ホーチミン)近郊に飛行場を作ったのだが、これがきっかけとなって、アメリカが石油を禁輸することになった。完全に日本は国際情勢を読み違えた。
しかしながら、イギリスの要衝・シンガポールを攻略するためにマレーシアの東海岸・コタバルから上陸を開始した際、ベトナムのフーコック島から飛んだ陸軍機・隼が援護している。またこの上陸作戦を阻止しようとしたイギリス最新鋭の戦艦プリンスオブウェールズをサイゴン近郊の基地から出撃した海軍機が撃沈している。
戦争末期に、ベトナムでは100万人もの被害を出した飢饉が起こる。不作の年に日本軍の徴発があった故である。このことは、教科書にも記されておりすべてのベトナム人が知っている。(この事実は私は古くから知っていて、戦後賠償やODAの授業の際に教えてきた。)
…最後に、著者の記述をそのまま記しておきたい。「現在、ベトナム人は日本人に対して、このことに関連した恨みごとを言うことはない。それよりも日本のODAへの感謝の念が大きいように思う。また中国と長い間戦い、中国が骨の髄から嫌いであるために、戦略上のパートナーとして日本に秋波を送っている。親日国と言ってよいが、その心の奥底にはこのような事実が隠されている。」
…この微妙な感覚が東南アジアにはある。マレーシアでも、日本がイギリス支配から解放したと感じているマレー系の人々と当時大陸とつながりが深かった故に日本を敵とみなした中華系、さらに微妙な関係にあったインド系と、彼らのDNAに堆積した歴史的日本観は異なる。私は日本語学校にいたので、当然親日的なマレーシアの生徒に囲まれていたし、KLでは日本製品やアニメ、観光など極めて親日的であった。だが、その奥底にある事実を日本人は知るべきであると思う。
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