2020年11月12日木曜日

ベトナムの歴史(1)

http://hanoi2.blog.jp/archives/1492893.html
先日エントリーした「日本人が誤解している東南アジア近現代史」の中から、次にベトナムの歴史について記したい。ベトナム・ハノイには、日本語教師として頑張っているT先生がいる。私との属性があるし、世界史などではあまり扱わないので記しておく意義もあるだろうと思う。著者の本拠地はベトナムらしく、なかなか詳細に記されているのだが、かいつまんんでまとめておきたい。

まず記されているのは、ベトナムは中国文化圏ではあるが、中国嫌いであることである。その理由は、ベトナムの歴史は中国の植民地、独立、植民地、独立という抵抗の歴史であったからだ。その最初は漢の時代。ハイバーチュン(チュン姉妹)の乱という大反乱がおこる。彼女らを祀る寺院もあり、その名が大通りや地区名につけられているという。唐が滅びた時、英雄・呉権が独立を指揮した。しかし呉朝も、その後の丁朝、前黎朝も、日本史の信長・秀吉の治世のようにすぐ滅びた。家康にあたるのが、李公蘊で、長期政権になる。この太祖・李公蘊の像は、ハノイの中心部・ホアンキエム湖を望む一等地に建てられている。ホー・チ・ミンも中心部に立派な廟があるが、ベトナム人の心情には、歴史的人物のほうが根付いていると著者は記している。また日本で言えば神武天皇のような存在である伝説的なベトナム最初の王・フン王の命日が祝日になっている(旧暦3月10日)。日本で言えば建国記念日か。

ベトナム独立後も、中国はことあるごとに攻めてきた。特に元の時代、王が降伏しようとした時、武将・陳興道が降伏するのなら私の首をはねるべしとして主戦論を主張、元軍を迎撃した。2018年に日本に来たベトナム海軍のフリゲート艦の名は彼の名前がついていて、(元寇を戦った国同士で)一緒に中国に対抗しましょうというメッセージだったらしいが、日本のマスコミは一切気づかなかったと著者は述べている。明時代、再び植民地にされる。この時立ち上がったのは後黎朝の始祖・黎利で、彼は神から剣を授かり明軍を打ち破ることができた。ホアンキエム湖に亀が現れ、その剣を返してくれるようにと言い、剣をくわえて湖底に消えた。このホアンキエム湖はベトナム語で「還剣」の意味だという。また黎利の名コンビはグエンチャイという人物で、今も敬愛を集めている。彼は、ベトナムの科挙に合格した人物で、名参謀であった。この科挙の伝統がベトナム人をして勉強を重視する国風を持っている。先生の日という祭日(休日ではない)があり、先生に花やプレゼントをする習慣があるという。

余談ながら、先日、菅首相がハノイを訪れた際、ホアンキエム湖(上記画像)に行ったことがT先生のメールに書かれてあった。なかなか意義深い場所であるわけだ。

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