2019年8月16日金曜日

PBTの話(60) イーサー

メディナにあるジャンナ・トゥルバギー墓地からムハンマドの墓のあるグリーンモスクを望む
哲学史講義は、アリストテレスまで終了し、少しキリスト教(ヘブライズム)の理解に入った。。今回はムスリムの国費生相手であるので、いつもと少しだけ勝手が違う。ムスリムの立場から理解するにはどういう説明が最もいいのかを念頭に置いている。したがって、こちからから質問することも多い。イエス(イーサー)について、終末と救世主とはイスラム教ではどうとらえているのかを聞いた。すると、意外な回答が返ってきた。

「イーサーは、終末の前に悪魔と戦うのです。」「…?」と、いうわけで、調べてみた。
イスラム教では、当然ながらイエスを神の子であるとはしない。三位一体説は完全否定される。また磔になったということも否定されている。とはいえ、ムハンマドの先駆者として、終末の前にダマスカスに降臨し、学生たちが言っていたように戦い、啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)をムスリムとしてまとめあげる。統治すること40年で彼は死に、メディナにあるムハンマドと初代・第二代カリフの墓の傍らにある空の墓に埋葬されるそうだ。
ちなみに、クルアーンには、イーサーの呼称の中に、「ムバラク」(幸運な)や「アブドーラ」(神の召使)というのがあった。私の中では、アラブの春で失脚したエジプトの大統領や地獄突きのプロレスラー・ブッチャーを連想させる。こういう新たな学びや発見は実に面白い。

ちなみに、今日の主役・アリストテレスの講義も実にうまくいった。ソクラテス、プラトンと対比しながら、3つのコンフリクトで整理しながら進める。私の教え子諸君ならすぐ思い出すと思うが、「京都のハンバーガーショップでの勇気の話」を中庸の説明のために講じた。私のすべらない話の中でも5本指に入る逸話である。(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿