毎日の朝刊に、安保法成立を受けて、内田先生のインタヴューが掲載されていた。いつもながら、内田先生の視点には膝を打つ。概要をエントリーしておきたい。
国民が今一番感じているのは「民主主義には欠点がある。」ということではないか。選挙で両院の多数派を占めれば、次の選挙までどんな政策でも強権的に実行できてしまう。政策が民意と離れていても、有権者には政権の暴走を止める手立てがない。
民主制と独裁は共生可能である。独裁とは「法の制定者と法の執行者が同一である」ことで定義される。その反対概念/法の制定者と執行者が別々なのはは、共和制であるが、日本の現在は形式上民主主義でも共和的ではない。首相は委員会で「早く質問しろよ。」というヤジを飛ばした。この言葉は、首相自身が国会審議を単に「アリバイ作り」のセレモニーに過ぎないと思っていることを露呈した。限りなく独裁に近い政体になっている。
自衛隊員に後方支援の大義名分を納得させれるか?大義名分を信じている兵士は強い。自分が何のためにそこにいるのか、その意味を理解している兵士は、どうしたらいいかわかならない状況でも最適解を選択できる。でも、自衛隊員がたとえば中東で米軍の後方支援に送られた場合、とっさの判断で最適解を選び取れるだろうか。難しいと思う。そこに大義名分がないからだ。自衛隊員に死者が出れば、おそらく日本のメデイアは死者を英霊にまつりあげると思われる。そして「派兵に大義はあったか」という責任論を「死者を犬死させる気か」というヒステリックな絶叫が黙らせることになるだろう。米国の9.11後は政府批判がほとんど不可能になった。日本なら、その程度では済まないだろう。
学生の反対運動が盛り上がってきたのは、法案が衆院で強行採決された後であった。立憲政治の手続きが踏みにじられたことに対する怒りである。学生たちのスピーチを聞いていると、彼らが心から怒っていることがわかる。切実さに胸が打たれる。安倍政権の人権抑圧的な政策がこのまま次々施行されるなら、若者にとって耐え難く息苦しい社会になるということについて、彼らは身体的な違和感、恐怖感を感じていると思う。彼らは一法案についてだけでなく、民意を組み上げ、異論との合意形成をはかることができなくなった今の政治システムそのものに対して「NO」と言っているのである。
…私は若者ではないが、この耐え難い息苦しさを感じる。何度もエントリーしているが、この法案に対しては、基本的に対中国へのブラフだと思っている。問題は、その手法なのだ。首相のヤジは、内田先生の言われるとおり。怒りを感じる。また、マスコミへの予言もまさに的確だ思うのだ。
2015年9月21日月曜日
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