2024年11月13日水曜日

「黙示録」を読みとく

学院の図書館で、森秀樹著「黙示録を読み解く」を借りてきた。懐かしのイラスト付き講談社現代新書である。著者は神学者ではないが、古文書や翻訳をしている人であるらしい。と、いうわけで、少し内容に不安が残ったのだが、どうしてどうして、なかなか面白い。

聖書学から旧約聖書を解説している加藤隆氏も、様々な旧約の黙示的な文書は、当時のユダヤ人を取り巻く危機の影響を受けているという記述が多い。新約聖書の最後を飾る超有名なヨハネ黙示録も同様である。ローマの支配とユダヤ戦争で大離散時代を迎え、ユダヤ人とキリスト教徒への迫害が続く。戦争の四半世紀後に黙示録が表されている。皇帝ドミティアヌスの、小アジアのキリスト教徒(大半は非ユダヤ人であったが、皇帝を神と崇拝することを是としなかった故に、またメシアを待望していた故にユダヤ的と見られていた。)への迫害に対し、小アジアの7つの教会は無抵抗主義であり、存亡の危機にたたされていた。

よって、ヨハネ黙示録は、7つの教会の手紙から始まるのである。試験作成が大詰めになってきたので、次回はいつになるかはわからないが…つづく。

2024年11月12日火曜日

南アのダイヤモンド鉱山の話

https://science-stock.com/graphite-diamond/
TG高校の地理特別講義の日である。20分前くらいに講義をする小教室に行くと、地理を教えている理系の生徒が、文系の生徒を相手に化学の結合について講義していた。(笑)なかなかわかり易く説明していて、感動した。ダイヤモンドが何故硬いのか、良くわかった。共有結合というらしい。

例によって、模試の問題の解答&解説をしていたのだが、いつものように脱線しながら話を進めていった。うまく講義前のダイヤモンドの話を結合できないものかと考えていたのだが、ジニ係数の話を最後にすることにした。昨日のブログで記した、世界で最もジニ係数が高いのは何処かを問うた。何度目かの解答で南アの名前が出た。

で、南アといえば産業は何かと問うと、ダイヤモンドときた。今は白金のほうが多いのだがちょうどいい。生徒は、化学の結合のことは知っているが、そもそも天然のダイヤモンド鉱山の様子は知らない。私も、南アでのツアーで鉱山を見学したから知っているに過ぎない。

簡単に言ってしまうと、火山の噴火口に溜まった冷えたマグマの中にダイヤモンド鉱石は存在しているのだ。それを掘り、水で洗い流しながら、鉱石を探すのである。最後には地表に空いた巨大な穴となる。鉱山での最も大きいダイヤモンドの価格はいくらか?(最初に買い手が価格を言ってからスタートになるらしい。)といった話なども交えて今日の講義を終えたのだった。少人数でやり取りが活発にできる授業は、面白い。

2024年11月11日月曜日

南アのジニ係数 0.630

https://africa-keizai.com/income-disparity_poverty_south-africa/
地理総合では、グローバル化を中心に授業をしている。ジニ係数についても、教えている。グローバル化の最大のデメリットは、国内ならびに、先進国と途上国の経済格差が共に拡大することだ。国内の格差はジニ係数で、国家間の格差はHDIで比較するのが、高校の授業としては最も適当だと思う。

そのジニ係数、世界で最も数値が高い(=格差が大きい)のは、南アで0.630である。(ジニ係数の最大は1、完全平等は0となる。)アフリカ哲学全史で、南アのマンデラやツツのアパルトヘイト後の思想「ウプントゥ」について深く学んできたが、現状は実に厳しいわけだ。

https://africa-keizai.com/income-disparity_poverty_south-africa/
南アのジニ係数が高い理由について、ある生徒から「何故ですか?」という質問を受けた。直感で、「鉱山を所有しているような少数の富裕層がいるからだと思う。」と答えたのだが、資料を見ると、たしかに所得の上位10%が、全体の50%を占めている。

南アに行った時、プレトリアのゲストハウス(まあ安宿である。)の黒人スタッフが大学出であったことだ。彼には、いろいろと教えてもらって助かったのだが、およそホワイトカラーとして活躍していても不思議ではないのに、良い職がなかったのだろう。今はどうしているだろうか。中間層としてそれなりの暮らし向きであればいいのだが…。

庭でラジオを聞きながら、英語のコミックを電訳機を片手に読んでいたら、掃除のオバサンが、「そのラジオは日本製?いくらくらいするの?」と聞いてきた。最も安いラジオで、1000円くらいだった。当時のランド(南アの通貨)に換算して答えると、「私の給料ではとても買えないわ。」と言ってきた。「ジンバブエに行って、もう一度このゲストハウスに戻ってくるから、その時プレゼントするよ。」と言ったら大喜び。ジンバブエから戻ってきたら私の名を呼び、ハグしてきた。(笑)翌日、彼女は、腰に私のラジオを結びつけてご機嫌で掃除に勤しんでいた。彼女の所得はあれから少しでも向上したのだろうか。

南アのジニ係数について、理論上の話ではなく、現実の体験からそんな危惧を抱いたのだった。

2024年11月10日日曜日

サニー号のボトルシップ

https://www.youtube.com/watch?v=xgpdZ0iIo9Q&t=39s
期末試験を作っていたが、ちょっと休憩。YouTubeで、粘土細工で、ワンピースのサニー号をつくりボトルシップにするコンテンツを発見。いやあ、凄い。粘土細工の技も凄いし、凄い集中力と根気である。とてもマネできない。なかなか良いものを見せてもらった。
https://www.youtube.com/watch?v=xgpdZ0iIo9Q&t=39s

2024年11月9日土曜日

「本格的一神教」の伝統 考

https://www.osanaki-iezusu.or.jp/shoukai06/shudokainitsuie06/newpage2.htm
学院の各教室や職員室に、次のような言葉は書かれた額がある。「キリストに信頼し、愛の実践に生きる」創立者・レーヌアンティエが遺した学院の建学の精神だとわかった。この日本語の表現、私には長い間、どうも腑に落ちなかった。「キリストに」ではなく、「キリストを」ではないのか。助詞の問題である。何人かの先生に聞いても明確な答えがなかったのだ。

カトリック教育主担のM先生が、この謎を解いてくれた。「キリストを」では、いくつかの神のうちの1つを選ぶことになる。「キリストに」となると唯一の存在となる、と。

昨日のブログでエントリーした「本核的一神教」の話につながってくる。神を選ぶのではなく、神に選ばれるという思想は、カトリックにも伝統的に生きていたのだった。当然と言えば当然の話ではあるが…。昨日のブログで、この件も記しておきたかったのだが長くなったので、あえて分けてエントリーした次第。本日の画像は、創立母体の故郷、フランスのショファイユという街である。

2024年11月8日金曜日

聖書学から見た旧約聖書3

加藤隆氏の100分de名著「旧約聖書」の書評第3回目。ユダヤ教は一神教である・選民思想を持っている・律法主義である、というのが高校の倫理で教える知識ではあるが、聖書学から、また歴史神学から見た場合、実はそんな簡単な話ではない。

前述のソロモンの栄華以降、イスラエル統一王国は、南北に分裂する。南のユダ王国は、前述のように出エジプトの子孫である。北のイスラエル王国は、ヤハウエを受け入れた先住民の子孫である。北王国では、やがて多神教的な王が出てきたりして、それが原因かはともかく、アッシリアに攻め込まれ、先に滅びてしまう。南王国でも、その傾向が見られ、バビロニアに滅ぼされてしまう。

「人が神を選ぶことができる」というスタンスから多神教信仰が生まれてくると、著者は分析する。この時はまだ「普通の一神教」であった。こうした状況の中で、ヤハウェを見限る者が北王国はもちろん、南王国にも多数いたのではないかと著者は見る。しかし、このような苦難に際し、何もしてくれなかったヤハウェに対し、「人が神を選ぶことができる」という前提を捨て、「神が人を選ぶ」のであって、何があろうともユダヤ民族の神はヤハウェのみ、とする堅固な「本格的一神教」が成立する。選民思想というのは、こういう風に生まれたわけだ。しかも、神が救ってくれなかったことは、自分たちの罪であって、神の責任ではない、という「罪の思想」が育まれていく。

ユダヤの民が、罪の状態にある故に、神は(民の苦難に)沈黙した。そこでなすべきこと=掟が定められ、神の前の義として、ヨシア王による「申命記的掟」が定められていく。律法主義の成立である。聖書の編纂はまだで、B.C5~4世紀に五書が編纂されるのだが、モーセが死ぬ前に述べた長い掟、それが五書の申命記の最後に記されている。聖書学で使われる「申命記的掟」という名称は、それ故である。著者は、面白い比喩を使っている。徳川家康が定めた掟を、聖徳太子が定めたように記述した、と。聖書は単純な性質のものではないということが窺い知れる一例だとも。

旧約聖書は複雑極まりない内容なのだが、あえて代表的テキストを挙げよと言われたら、多分に権威的かつ伝統的な立場から、申命記の6章4~5(または~9)となるそうだ。『聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』この言葉は、「シェマの祈り」(熱心なユダヤ教徒が朝夕唱える)の冒頭部分で、これに申命記の11章13~21、民数記の15章37~41を合わせてテキストとなっている。

唱えるだけでなく、このテキスト(申命記の2つのテキストと出エジプト記の13章1~16)を記した羊皮紙を小さな箱(テフィラ)にいれ、祈りの際に額や左腕に取り付ける事になっている。(上記画像参照)ちなみに、出エジプト記13章の1~6は、エジプトから出発する時のモーセへの命令とそれを民に伝えた内容である。

ちなみに、かの有名な「モーセの十戒」は、申命記の5章にある。また「7年毎に負債を解消し奴隷を解放しなければならない。」は申命記15章に、「三大祝祭日(過越祭・七週祭・仮庵祭)にはエルサレムに行かなければならない。」は申命記16章に、「戦争の時は町の住民を皆殺しにしなけれなならない。」は申命記20章に記されている。

…私は、エルサレムの嘆きの壁で、テフィラを付けた超正統派の人々の姿を目撃した。彼の額と左腕には前述の羊皮紙に記されたテキストが入っていたのであろう。またティベリアという街のホテルの屋上で、朝の礼拝をしている超正統派の人も目撃した。(上記画像)この時、唱えていたのは、前述の「シェマの祈り」であったのだろうと思うと、なんとも感無量である。

2024年11月7日木曜日

米大統領選 G先生との対話

https://www.bbc.com/japanese/articles/c3vld20437ro
アメリカの大統領選挙は、トランプの圧勝で早々と結果が出た。前回のなにやら胡散臭い大混乱の流れとは違い、少し驚いた。

学院で英語を教えているボストン出身のG先生と、この結果について、対話する機会があった。彼は、国外にいながら投票用紙をメールで受取り、PDF化して投票したらしい。日本の場合は、大使館に出向く必要があるとマレーシアでの体験を話すと驚いていた。出身地から推察するに、本来なら民主党支持なのだろうが、さすがにバイデン政権の政策には危機感を持っているようであった。トランプが当選したことに対しては、どちらがなってもアメリカのこれからに危機感を表明していた。

私などは、さすがに異常なまでの移民の受け入れに、国民の批判が集まったのではないかと意見を述べた。アメリカでは、税金の申請は、個人がそれぞれ行う。天引きする日本と違い、税金の使い道に対してシビアである。彼らの税金が移民対策に莫大に使われていることに、かなり批判が集まったと思うのだ。しかもバイデン政権下でアメリカは、ウクライナ紛争やイスラエルの紛争に巻き込まれている。トランプの4年間は、少なくとも軍事行動はなかった。もしかしたら、ウクライナ紛争を仲介できるかもしれない。

2人の対話の結論は、トランプはビジネスマンであり、その良さが活かされるかどうかにかかっているということ、民主党の次期候補は、リベラルであり、しかもトランプとも親密で保守的な発想も併せ持つ中間派のケネディがいいのではないか、ということで落ち着いたのだった。