2026年11月4日水曜日

吉村昭「関東大震災」を読む5

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関東大震災時の横浜から始まった「朝鮮人放火す」の流言は、やがて東京にも波及する。このあたりの内容も書くにしのびない。日本人も間違われて殺害された例も多い。自警団が各地で結成されていた。当時は徴兵制のもとで元軍人だったものも多く、日本刀や銃器などの武器も野放しであったようで、パニックに陥り、犯行に走った被災民がかなりの数いたようである。この頃の日本は、まだまだ社会が成熟していなかったといえる。

さて、この虐殺とともに、社会主義者への風当たりも強かった。特に憲兵隊は治安を乱す輩と認識していたようで、大杉栄・伊藤野枝、さらには大杉の妹の子(甥)の橘宗一(6歳)(画像参照)が殺害される、いわゆる大杉栄事件が起こる。(余談だが、伊東野枝は大杉の内妻で、先夫は、ダダイストの辻潤であると知った。)当日辻潤の家を二人で訪れたが不在だったので、妹の家を訪れ無事を確認した時、宗一が「東京の焼け跡が見たい」とせがむので、同伴していた。

彼らを狙ったのが、甘粕憲兵隊大尉である。彼は、日頃から社会主義者を国家利益に反するものと憎悪していた。地震発生後、多くの社会主義者が検束されたが、巨頭大杉栄が自由に歩き廻っているので、9月10日頃からその動きを追い始めた。部下を特高の元に送り、住所を知った。前述の宗一を連れた大杉が帰宅途中、張り込み中の憲兵隊が拘束し、2台の自動車で憲兵隊本部に連行した。その後の軍法会議における陳述も、詳細に書かれているのだが、かなり酷いので割愛する。甘粕大尉への求刑は死刑ではなく、懲役15年。判決は懲役10年だったが、3年後に仮釈放となり、渡仏。昭和5年、満州国成立とともに、要職についた後、満映理事長となった。終戦後、8月20日青酸カリを飲んで自殺した。

ちなみには、大杉栄は社会主義者と言うより、無政府主義者という方が正しい。甘粕憲兵隊大尉にはその違いはわからなかっただろうが…。

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